有坂秀世「古代日本語に於ける音節結合の法則」

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 上代國語に存在する音節結合の法則については、既に「古事記に於けるモの仮名の用法について」(國語と國文學昭和七年十一月號)の中にその概略を記したのであるが、その後古事記日本書紀及び萬葉集東歌防人歌を除く)の全體に關する調査を終へて、次の三つの法則の存在を確信することが出來るやうになつた。

  第一則 甲類のオ列音と乙類のオ列音とは、同一結合單位内に共存することが無い。

  第二則 ウ列音と乙類のオ列音とは、同一結合単位内に共存することが少い。就中ウ列音オ列音とから成る二音節の結合單位に於て、そのオ列音は乙類のものではあり得ない、

  第三則 ア列音と乙類のオ列音とは、同一結合單位内に共存することが少い、

ここに結合單位と稱するものは、普通の言葉でいへば語根又は語幹に略相當する。語を結合單位に分析するについては、すべて次の方針に據る。

  (1) すべて複合語は、その構成要素に分析する。その上で、

  (2) 動詞はその語幹をー結合單位とする。派生動詞は、接尾辭サブ(ウマヒトサブ、カムサブ等)及び接尾辭ナフ(イザナフ、ウシナフ、オトナフ、ツミナフ、トモナフ、ニナフ等)を含むものの外、すべて單純動詞と同様に扱ふ。

  (3) 形容詞の中、所謂ク活用に屬するものは、その語幹を以てー結合單位とする。シク活用に屬するものの中、コホシ(戀)トキジ(非時)トホトホシ(遠々)の如きは、それぞれ動詞コフ(戀)名詞トキ(時〕及びク活用形容詞トホシ(遠)と關係がある故、コホ、トキ、トホを以て一結合單位とする、併しトモシ(羨)タノシ(樂)ヨロシ(宜)の如き場合には、シを取り去つた殘りのトモ、タノ、ヨロだけで果して意味をなすものかどうか疑はしい故、これらはシのついた形トモシ、タノシ、ヨロシ等を以て一結合單位とする

  (4) 用言活用語尾は、すべて結合単位の中に入れない、

  (5) 接頭辭及び接尾辭は、用言を作る接尾辭を除く外、すべてそれ自身でー結合單位を成すものと認める。又動詞を作る接尾辭サブ(上二段)及び接尾辭ナフ(四段又は下二段)も、その附屬する語根との接合状態に、音節結合の法則の關係することが無い故、亦それ自身一結合單位をなすものとする。

これらの方針については、別に一定の演繹的根據があるわけでぱない。奈良時代言語に於て、音節結合の法則が、大體どの位の範圍について行はれてゐるかをありのまゝに觀察し、なるべく廣く一般に通ずるやうな法則を立てて見たまでのことである、

 なほ実際に材料を扱ふに際しては、上の(1)については人によつて随分見解を異にすることがあり得る。ナミダ(涙)ぱナキミヅタリ(泣水垂)の約であるとか、サルタビコ(猿田彦)ぱシリアカルテラビコ(尻明光彦)の転であるとか、何とでもこじつければいくらでも細かく分析することが出末る。それ故、なるべく牽強附会に陥ることを防止するために、語を結合單位に分析するには次の方針を採つた。

  (1) 果して分析し得るものかどうか疑はしい場合には分析せすにおく。

  (2) 意義不明の語句は研究材料の中からしばらく除外する

  (3) 固有名詞は、一見して語原の明かな場合のほか、すべて研究材料の中からしばらく除外する。

後二項の解決は之を後日に期せんとするものである。又(1)の方針に拠る時は、實は一層細かく分析し得るものを分析せすに扱ふやうになるおそれがあるけれど、それは現在の所止むを得ない。

(2)の方針に據って除外する語句は次の通りである。
田 古事記 許呂呂岐瓦(古訓示斗呂呂岐瓦、神代)曼陀流(神代)宇岐士摩理蘇理多多鴛瓦(神代)伊碁他方 (御代)元方(庶神ブル福元理(庶神)
㈹ 日大害紀 毛胡(仁徳゛姻吹聴耶防府可(誰賂)矢自矩矢直(綴暦゛母直紀舟゛皇極゛羽目朝臣斉八八牟゛天武下)
㈱ 黄葉巣 快凝(巻二)快哉(巻六)大知恂雨(巻六)音{余所巡演(巻五)牛留鳥(巻三)思許里(巻十二)
商自許里(庭七)宍串ご(庭火)手寸十名相(巻十)高笑相互(庭十八)岸他所久母(座元)言行侶(庭十 一)跡位浪(庭二)跡座浪(庭十三)得手良方(庭火)金縁令弟八入庭三)良之穏行呂(庭囚、庭ハ)百小 竹之(庭十三)
今後大福の表では、橋本先生が乙類と名付けておいでになる種類の仮名にはすべて平仮名を充て、その他一般の仮名には片仮名を充てることにする。但し平假名の「へ」ぱ片仮名ざ冊れ賜い故、代りに「扁」を用ゐる。又ア行のエには了然丁ペャ行いエには言」を充てる。次に七の仮名は序言吉紀に於てのみ甲乙同類に悦び分けられて居り(これに囲ずら私活け「古事記に於けら七い假名の用法について一の中で述べ記。)目大害絶や寓脂果てぱ働か分けられてゐャいゾぐ江府鋼塙つけ、古本紀に円例の無い績にフいてぱ甲乙両損を亘間サ犬寸べて仰僣仮七つ値」を以下濁ら まづ牢稿の初めに掲げ仁二つの法則の中、第一期から殆ぬるこごとする。他日嶮しく殺表する際には甲乙雨類に舗するオ列の仮名の用例を全部出し、それから結合早坑を祈出し包過程を明示する積りであるが、今回ぱ紙数に制限炉ふる故、止むや得す記こだ諮論ゴゾビ言べろ。
1、印判の示月号がニツ以上回二仏身阻坑内に渋恬マ石州
コユ(揉0号)エ」モ(言)寸七(眸)’ートー・(頴)シノノ(言壮る耽)
2、乙判のオ月号炉ニッ以上同一結合早校内に共存する例
こど(事、言)こざ(耶)ここ(異、殊)ここ、こと(同、如)こと(毎)この(このム、好)こも(菰、
薦)こも(こもル、誰)ころ(頃)ころ(ころス、殺)ころ(ころブ、情)ころ(凝)そこ(底)そそ(そ そク、漂)そそ(そそル、聳)その(園)そよ(物の一将)どこ(床)どこ(常)こと(物の号)こと(こと ム、止)どの(朧)どの(全)ども(、伴、共)どよ(豊)どよ(どよム、参勤)のこ(のこス、楼)のご(の ごフ、拭)のと(長閑)もど(水)もo(物ブもろ(紳計)よこ(撰、不正)よそ(卦)よそ(よそル、寄) よど(淀)よよ(よよ八言語不明瞭)よも(黄泉)よう(寓)イざの(イざのク、茜)こごシ(峻)ここ の(九)こころ(心)ころも(衣)こヲろ(水経略耽)シこと(趨)そホど(詰)どころ(所)どころ(前) どきり(ざどのフ、察)とどろ(参)どもシ(善、乏)ざよ岳(どよ孚ス、参勤)どヲよ(ざヲよル、控) のどよ(呻吟)ホごろ(斑)そこら(如)もざホ(もfホス、廻)ようシ(宜)よろボ(よろボフ、踏所)
このシろ(端魚)どどこホ(とどこホル、滞)とどろこ(とどろこス、嗇)ざホシろ(大)ネそこら(懇) イキドホろ(イキどホろシ、憤)ホことギス(時鳥)
而して甲類のオ列音ど乙類のオ列音とが同一結合單位内に共存する倒け一つも無いのである。欠ゼ問題となるのは、第一、古事記土庇に宇士多湘嶮斗呂呂岐亜と見えるその斗呂昌岐亜であるが、ここぱ舞扇寺本俸暦本完本本には許呂呂岐且となってゐる。延性本には斗々呂岐且ざあり、古川本ぱ▽不に徨つで斗呂昌波亜としてある。許ざ斗とは草書では互にその形が似て布石けれど、斗が許f見誤られる價合よりは、寧ろ許のひどく崩れ欠形炉斗と見誤られる複合の方が多くけ高る止いかブぐの上鴬則寺犬伊勢犬原限才い小うな古いネには悦「許昌呂波亜」となってふるのでふる小犬、解郡上ヤバゾヘブ無諭「斗尺八一波亜土い方がよ;分乙には言語こいこ言つてもー言ろろく]こいよ形自身け他に一つも用例が無いの丁勺几`)けがとも、こぼ許呂匹岐亜の方炉原形でかこぞいふ可能性もかなり多いわけである。この語は日犬吉紀に朧漕虫涜ざあ石所に別才ずるので、その意味ぱ賂怨恨し得るけれども、なほ明かでないかこ材料の中からは除いで今几第ニに問題どころのは、才徳紀の詣魚(ハち)の国防「阜能之服」(畢及び能ぱ乙類、宍ぱ甲類)でからか、元布目壮書紀流布ネに於けろ宿(、この仮名の用倒のうち、甲類相當の場所に用ゐ欠所二個所、乙類和音の場所にmゐ欠所十二個所であり、その中後の十二個所ぱ拙本には慮(乙部)となってゐるものである、宦は古事記には印類の假名として用ゐられて居大凡字音(十二韓一縮)の方から見ても甲類和音の文宇である欽、紀で庵を乙部相當の場所に用ゐ欠十二個所は、恐らくぱ庵の誤であらうと思はれふ。さて孝信紀については、肌ぱまゼ古寫犬類を桧してゐこいので何どもいへないが、皐能之炭の宮も恐らくは庵凡ぱ廬の誤ではあるまいか。端然ぱ出雪風土記には近吉昌(もつざ孔同書には特殊の方言を混してふる擬かおる。)ざなつで居か、父上官紀系譜o中に己乃斯
里王f見えるのも多分同意義の御名であららで思は 次に第二則について述べろ。


。而して呂礼足早共に乙類の慨名言のろ。
田 ウ列音戸甲類のオ列音ざ同一結合單位内に共存する刻
ウユ(愚)クソ(朧)ク七(雪)グロ(里ごスソ(欄)ツト(芭)ツト(ツトム、努)ツド(ツドフ、集) ツノ(綱)フト(太)ムロ(皇)ムロ(徨)ーラフ(肺)フクロ(袋)
げ ウ列音戸オ列音ざ同】結合單位内に共存する刻
ざブサ(炭火?)ウシろ(後)クシロ(釧)^ -;・> ≫o (聊)オょヅレ(妖言)ホドミギス(時鳥)
即ちウ列音戸甲類のオ列音ざ紹合し欠刻ぱ14程に及んでゐる戸、乙類のオ列音ざ結合し欠刻ぱ6程に過ぎにい。而も私の知る他面では、洵の珂例の中ウシロ、ムシロ、オヨヅレのz程は、之を更に分析し得るといふ庶戸既に提出さ長てゐるこいつAぶ、トブサい・所作にじ疑庶ちよぶ、ホトトギスは鳥山略啓を拉した語てよるといム戸、そいこ‥?いで㈲へばホトト・ギスfいこ夙に中にか長目をつけて荷い欠こf戸ないどもいへ≒いでよらう、読破は、スけ、カラスやウグヒスのスなざざ同徐に、鳥類の水につく一程の校尾聯であるから知れない、但しこれらはいづ長も果して分析し得るものかどうか疑問である故、しばらく分析せすにおい欠のである。併しウ列音戸乙類のオ列音ざ紹合する刻は、少くども二符節の結合單位の中にはーつも見常らないこざ上の表にあらは長てゐる通わである。もつども、これら12例はいづ長もウ列音戸先に立つてゐるものである戸、オ列音戸先に立つ場合にも多分同様であつ欠らうざ思はれる。それについては確賞な寓靖服烏宵きの刻ぱ無いけれども、七ズ(百舌)の七戸甲類のら0つめつここどか開校に推定される。卸も、古事記に見える地名の毛受につき、仁徳紀所載の地名起原韓脆ぱ之を鳥の名のらズ(百舌)ざ凋傾き

せてゐる。勿論この惰庶自身は梁してそのまま信じてょいも0かごうか分らこいし、ズ日元言紀では七の假名に甲乙雨類い使ひ分け戸無いのである戸、宵紀の摺背戸勝手に創作しこ恂語でち思けれす、やけb租常に古くから・、恐らくは戸畑僕閃一般に二類に食言し分けら江てゐる時代から饌はつ記恂語てあうっから、古甫記にこい・地名を毛受と記してゐることから考へて、七ズ(百舌)の七ぱ犬宋甲類のものてあつたざ推定してょからう。
次に第三則について
田 マ列言戸甲類のオ列言ど同一結合單位内に共存する例
コガ(ゴガル、焦)ソナ(ソナフ、具)ソバ(ソバフ、倣)ソマ(柏)ソラ(空)トガ(栂)アソ(アソブ、
鎧)カュ(カタカコ、冷菓)カソ(幽)カゾ(敷)カド(荊)カ七(鴨)カョ(カョフ、亘)サト(里)サ ド(サドフ、惑?)タド(クドル、鎧)ナゴ(和)ナゾ(ナソフ、准)ナョ(柔軟)ハト(鵠)ハロ(燈) マト(マトフ、惑)マョ(眉)マョ(繭)マョ(マョフ、既)っムラ(露)マソソ(仄)アロジ(主)クノ シ(梁)ヒロカ(タヒロカス、慨掌)てフソ(てフソフ、雫)イサョ(イサョフ、躊躇)カガョ(カガョフ 絃)カシゴ(畏)サマョ(サマョフ、呻吟)タケソ(タケソカ、偶然)タグョ(タダョフ、漂)ハハソ(杵) ミサゴ(鴎)
㈲ ア列言戸乙類のオ列言ざ同一結合單位内に共存する例
こヤ(こヤル、臥)そバ(樹名)どか(咎)ざハ(永久)天ハ(犬ハス、飛)ざマ(ざマル、留)アそ(親 将)カそ(父)クo(クロム、頓)マそ(會)マろ(圓)マろ(回栴)ざブサ(俗才?)ょラシ(宜)アど 毛(マど毛フ、率)’オこナ(すごナフ、行)ナごbス名侵)ヅろガ(ヲろガム、秤)イヤチこ(灼然)

 

即ちブ刈訴訟甲類の才列音と結合した例ぱ39種に及んでゐる戸、乙類・い分列音と結合し記例は19種に過ぎない。而も私印知ぶ範圍では閣の隋例の中トハ(永久)マソ(親信)クノ(帽)マロ(自信)ョラシ(宜)て7七(率)ナゴリ名侵)ヅロ万(耶)イヤチュ(灼然)の9種は、之を更に紬かく分析し得るといふ股が説に提出されてゐるらのである、久々ブサ(硝安?)の解郡については界股もある。ソバ(硝名)ち・官は疑問の語である。オュナフ(行)のナブぱト七ナフ(伴)ウシナフ(失)なざのナフ(この接尾辭は音節結合の法則と關係がないこと初に述べた肺9である)ざ同じなの・かも知れない。コヤル(臥)≒ハス(飛)トマル(留)については、捨尾斟ス、ルの前にはて刈音の来ること戸殼ち多い故、ゴヤ、トバ、トマなでは或は他の語の場かからの類捨て新に作られ鎧形かも知れない。(この第三間は、昭和五単に宍い包私の犬亭亭尾論文には記しておいたけれども、例外及び疑はしい側か比較的多いので、椴暫のみから直ちに利所を下すこドーに不安シ感じ、被官な計算を経べろまでは放火を差控へることにし記。翌年五月に書いた「㈹語にあらはれる一種の母音交替について」に、むご第一間ざ第二則ざのみを記して第三則を省い記のぱこのためである。

 

 
ア列 6 13 8 1 1 9 3 41 63.0
ウ列 2 2 4 1 1 0 4 14 21.5
オ列 3 0 1 2 4 0 0 10 15.8
オ列 0 0 0 0 0 0 0 0 0

 

 
ア列 4 4 6 1 0 1 3 19 11.1
ウ列 0 0 3 0 0 1 3 7 4.1
オ列 0 0 0 0 0 0 0 0 0
オ列 33 10 43 13 10 15 20 144 84.7

 

 この表は、例へば「コ」の下の縦列についていふと、「コ」(清濁共)が同一結合単位の中でア列音、ウ列音、甲類及び乙類のオ列音の各と共存する例の数(結合單位の種類の数)を示すものである。但し「モ」の下(オ列甲の欄)に於ける「モモ」(百)や、「と」の下(オ列乙の欄)に於ける「とどこホ」(滞)の如く、同じ音が同一結合單位内に二つ共存する場合には、同一結合単位を二回数へてある。これによると、甲類のオ列音か好んでア列ウ列音及び甲類のオ列音とは結合しながら、乙類のオ列音と結合することは決して無く、又乙類のオ列音が好んで同類のオ列音とは結合しながら、異類のオ列音とは決して結合せず、ア列音やウ列音と結合することも比較的少いといふ事實が一見して明かになるであらう。

このほか、場所をあらぱ堂代耶詞の中でべ土こ」(此言)「すご」(興言)にはフ上炉ついてゐるのに、「イヅク」(伺言)にはフク」炉フいてふる。(イヅユけ言コやソゴからの類推で平安路代刈羽に出来記形である。)又フゝャフ大官處)には「コ」炉ついてゐる。これらはいづ仁ハ畳鰯結合の法則ざ回係炉あらうと思ぱれる。
格助詞「の」には別に「ナ」といふ浴びある。これぱ奈良路代には説に自由に用ゐら紅す、記ゼきまつ記複合語の中にあらはれ芯のみであ乙。確貢穴薗梨阪名宵さの側いよ?らのは、「タナ」(手之)「マナ」(限之)Eマナ」(鴛之)フヽナ」(水之ドハャスヒ尹](注吸之)「ウナ」(海之)
マナ(頂之)言十≒停之比谷七ごこ目之)の九つ丁ヅ・べこいばか防八言には旱ミご裕之)の例がぶリブ又坦名には田上(「タナカミし御燈(「カムナび」)の如き用字法も見られ元併しいづれにしても「ナ」ぱマ列音、甲類いイ月号、ウ列音及び甲類のオ列音で証る語につい記釧ぱあるけれども、乙類のオ列音で絃る語についた例ぱーつ孔無い。(「ざナミ」鳥之網は一言のアミ」の約ざ匯ることが出来る。)思ふに極め玉山い時代には、「ナ」f「の」どけ、例へばア列費やウ列費や甲類のオ列音などで許る語には「ナ」がつき、乙類のオ列音などで緋る語には「の」がフヘといふ風に、悦び分けられてゐるものであらうが、その柿類推の作用で「の」が次第にその使用炭団を鏑張し、本来「ナ」を用ゐてゐこ場合にも「の」を用ゐるやうになつて、つひには「ナ」ぱLI y特定の複合語の中にのみ保存されるやうな状態になり旅つたものであらう。
又助動詞ス、フ、ユの直前に立つ動詞の活用語尾の形としては、奈良時代に於てぱア列音が概して優勢にはなつてゐるものの、かつてぱ語幹の部分どの接今秋態に音節結合の法則炉関係してゐだざ旭ぱれる形跡が(殊にフの場合に)鮮かに見られる。まづフについて、古事記にあらはれる用例を全部挙げて見ょう。
A、よこサラフ(撰移)でフフ(逐)オそブラフ(押撒)ムカフ(向)マでフフ(守)ミハフ(呼、婚)
B、マツロフ(奉、服従)
C、もざホろフ(廻)よそフ(寄)
則ち記の範圍内では、四部結合の法則に背く例ぱ未ゼ銃常らこい。目六方組では、以上0ほかに「ツクラフ」(作)「マツラフ」(奉、服従)「ミナギラフ」(汪)≒どかあつで、これら孔・法則に叶つでふる。次に同様の賞詞を萬葉集(東歌、防人寂を除く)に求めると、以上のほかに次のやうな側か見える。但し材料ぱ動詞及び助動詞の全形炉萬葉假名方きになつてゐる場合に限つむ。

Λ、カタラフ(語)カハラフ(使)タラフ(足)テラサフ(照)ナガサフ(流)チラフ(散)七ミクフ(苛苛)
アブサフ(診)カクサフ(謳)シハブカフ(咳)スマフ(住)丹ツカフ(丹前)ツガフ(朧竺罰プマフ(逢 損)カヘサフ(返)カヘラフ(肺)ナげカフ(歎)ヱマフ(笑)
Bヽケヅロフ(捗)
C、ツヅシろフこ鶯)ウツろ・フ(移)ススろフ(.徴) マツろフ(奉、服従) I
即ち大部分は法則に叶つてゐるけれど、もこだCの申の「ツヅシろフ」「ウツろフ』「ススろフ」「マツろフ」炉問題になる。
然るに、この申マッロフぱ寓精巣でこそ2個所(外に下二段活用のものS個所)ども「マツろフ」であるが、古事記では七個所マヘ規則正しく「マッEフ」となってふる、又ウッロマぱ実話浜中の用例D個所のうち、ゴ個所だけは
「ウツロフ」fいふ規則的の形になつてゐる。而してツヅシリフ及びススリフの用例ぱ各唯一つづつしか無いのであるヤら、これら囚つの不介則的な珍か梁してすつざ古くからこの通りの珍であつ欠かどうかば擬ぱしいざいぱこければなるまい。(フの場合に於ても、問題の側唐にア列晋をあらはず例は、他の例に比して茜ゼ多い。これらの申には、恐らくは比較的後世に他の語の場合からの類推で新に作られ欠珍も少くはないであらう。)
l f’ ―
以上ぱ四段活用のフについての話であるが、下二段活用のものには「ムカフ」(向、迎)フ与フ」(取、抽)「オサフ」 ・’‐― ―‐ 1
(押、抑)(マツろフ」(奉、會従)「よそフ」(寄)などがある。この中フミフフ」ぱ紳功紀に出てゐるが、法則に合はね
い形である。一言ッろフ」は苛苛巣にゼ個所出てゐるが、前に述べた司段活用のコヽッろフ」ざ同様、果して古くからの形かどう炉疑はしい。
次に助動詞スの直前に立つ囚役活用の動詞の活用語尾の形としては、甲類のエ列音をあらぱすもの1(「イヘス」言) 1 1 1"
オ列音(分用のある行ならば乙類)をあらぱすもの8(ヤオろス」織「キこス」聞「オもボス」思)である炉.これらは皆音節結合の法則に叶つてゐる。然るにア列音をあらぱすものぱ肘に及び、その中には法則に合はないものが8まである。又助動詞ュの直前に立つ同役活用の動詞の活用語尾の形としては、オ列音(分用のある行ならば乙類)をゐらはすものは僅かコ(「午こュ」聞「オもホュ」思)だけであるがいづれハ法則に叶つてゐる。然るにア列音をあらぱすものぱ7に及び、その中には法則に合はないものが2まである、かやうに、スについてもュについても、ア列音をあらぱす場合は他の場合に比して雁倒的の多数を占めてゐるのであるが、それらの形の中には、他の形からの類推で新に作られ八形も少くはないであらう。ア列言をあらはず隋例の中に不合則的な形戸かなりあらはれるのも、恐らくはそのせいであらうと思はれる。スやュの場合には、ア列言の勢力戸フの場合よりも現に欄犬されてぬるけれど、「キこス」「大礼ボス」「キこュ≒子心ホュ」のやうな形は、極めて頻繁に用ゐられる戸故に、リ列言の類推的勢力に能く抵抗して、その古形な保存してゐるので函らう。(「キカス」『大もハュ」のやうな形は、恐らくぱ類推的隋琥物べ「午こス」「大もホュ」の方戸古形であらうど凪はれ芯。)
指図から出八荒生動詞に於て接足跡の寂前に立つ符節、又は指図から出八派生形容詞に於て接足跡シ(シクい計用0場合)又は形容詞百足(ク計用の場合)の庖前に立つ音節の形は、原指図の語幹に別雷する部分どの接今欧熊について、音節結合0法則に捉ムい・戸谷通でふる。例件ぱ八バ仁ごヤル」(臥)フ犬ハス」(頂)Eピマル言行)の三つ愕いでふる。併しこの程の・符節は、原浜岡い語幹に相當する部分ピ評せて、次々二つの結合單位として扱つて宋仁いそよろから、既に胴宣暦みで今几その上宵例ぱ既に「國語に高久は釧ふ一役の径言交替について」の中に俎わてミ?ヤ≒今回ぱ紙数に刻限戸ある故、ここでぱ賜べないこざにする。

その外、「大ホろカ」(几)には「ろ」戸ついてゐるのに、「アカラけシ」(赤刎マキーフけツ」(旧)などに「ラ」戸ついてふるこどの如きも、多分音節結合の法則ざ關係のゐることであらう。
さて以上の音節結合の法則に回保するものは、オ列言の中でも、侃名に甲乙示顕の使ひ分けのあるコソトノョロ守 ―― ―’" l‐‐1ー ー愕けであつて、侃ひ分けの無いオホヲに於では、同】顕の言節戸「オク」(奥)マフホこもル」(食尽刎ミツボ」(水粒)‐1ウー ー』― ’‐‐ ll tll
ヲ」(燕)のやうに甲憚別営の朧朧にからは竹ハこざうでへ二十バー(符)ゾよT匹(言)一"のダル」(上)フこべ賜)のケっに忌憚別営の位殼にあらはれここどもふる。然るに心に於て咤.吉紀や常詰隼でこそ同一類い・骨節戸甲類相當の付設
にも八司椚言い・位労い七夕らはれるけれぞ、吉寄託まで湖ここ符節づ所司に外れてドク首足ここらこ(鴨)Dやうこ甲司用言い位置にけ昌すTご炉爪らは几フプケ(蒜)フもドづ率)いやら八八類別言の位置にじ必ずフ。炉ぐーりけれるやうに号ここ江州ら類推そるに、才ホヅ・’E更に古い時代にぼやけb冬二司に外れてみて、甲類用言の位朧ざ八司相當の位覗ざにはそ江ぞ江別見八号よ『節炉旧応られてゐ欠もの・ではか乙まいヤブらし何らやい方法によつてさういふ時代の存在することが謬明されるならば、そい時にこご國語に七いはゆるウラダアルクイ諧囚語に於て母音調和ざ排せられる司の母音配列の法則の存在し記ことが明州にさ江るわけでムる。

 奈良時代國語に於ける音節結合の法則が、いはゆる母音調和の法則の名残なるべきことについては、既に卒業論文の中に述べておいた。その後池上禎造氏も亦略同様の説を發表されたことがある(「国語・國文」昭和七年十月號)。さてもしさうとすれば、古代國語に存在した母音調和の法則は果してどんなものであったらうか。まづア列音 (a)ウ列音(u)及び甲類のオ列音(o)に對應する古代母音が陽性、乙類のオ列音言)に對應する古代母音が陰性であったことはいふまでもない。甲類のイ列音(i)の祖先が中性であったことも略間違ひは無からう。甲類のエ列音(e)の祖先も、他國語母音調和の例から推すならば、中性又は陰性でありさうに期待されるが、奈良時代文獻にあらはれた所では、甲司のエ列音は實際のところ陽性相當の場所にしかあらはれて來ないのである。(古事記の志祁去岐が唯一の例外であるが、これは疑はしい。第一「シケこシ」といふ語は他に一つも用例が無いし、去の字を字音假名として用ゐるのも古事記ではここー個所だけである。それに真福寺本でぱ志祁志岐となってゐる。)乙類のイ列音及び乙類のエ列音の先祖が母音調和の上で占めてゐた位置を考へるについては、私がかつて「国語にあらはれる一種の母音交替について」に於て述べたやうな母音交替を發生せしめた音韻變化との關係を考へておく必要がある。格助詞ナがただ語根被覆形にのみついて露出形には決してつかないこと、又語根被覆形が一般に音節結合の法則に合してゐること(ただ一つの例外は「とマ」留であるが、これは前に述べた通り、他の語形からの類推で新に出来た形かも知れない。)などから考へると、被覆形露出形よりも一層古い時代語形の面影を存してゐること、又母音調和の法則はこれらの音韻變化(幾回に起つたかは分らない。)の起った時期よりも前から既に存在したこと、從つてそれらの音韻變化(前稿に挙げた二段又は四段母音交替を発生させた音韻變化だけがこの段の音韻變化の全部であつたかどうかは疑問である。)に通ずる特徴は末尾の母音の變質にあったこと、などがかなり可能性の多い事柄として考へられて來る。かやうに考へると、乙類のイ列音及び乙類のエ列音の祖先の中には、この種の音韻變化によつて他の音から分化したものも(假に全部はさうでなかったとしても)かなり多からうと思はれる。それらの音は最初から母音調和の法則とは無関係に、寧ろ母音調和を部分的に破壊した所の音韻變化によつて発生したものである、それ故、國語にかつて存在したと考へられる母音調和の法則を明かにするためには、これらの音韻變化の實状を今少し詳しく研究して見る必要があらうと思はれる。

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最終更新:2015年06月01日 23:58