有坂秀世「古事記に於けるモの仮名の用法について」

 石塚龍麿は『仮字遣奥山路』に於て、上代の文献でエキケコソトヌヒヘミメヨロの仮名が各二類に使い分けられている事実を述べたのであるが、彼はまた『古事記』に限りチ及びモの仮名も亦各二類に使い分けられていることを説いている。この中チの仮名が二類に使い分けられているということは甚だ疑わしい。チの第一類は知であり、第二類は智であるが、『古事記』中、知の用例が百十余個もあるのに対し、智の用例は僅か十三個に過ぎない。即ち、
    スヒチニ神(神名) クヒザモチ神(神名、三ケ所) ククノチ神(神名) ヲロチ(大蛇、二ケ所) 赤カガチ(赤酸漿) ミチ(海驢)
    ホムチワケ御子(人名) タニハヒコタタスミチノウシ王(人名) 八尋白チ鳥(八尋白鵆) チヌ王(人名)
  以上はすべて古訓本に拠ったのであるが、この中ミチのチは真福寺本では知になっている。然るにこれらの語彙の中で、
 赤カガチ(赤酸漿)ミチノウシ王(人名)チドリ(鵆)の三つについては、また知を用いて書いた場所もあるのである。これは古訓本ばかりでなく、真福寺本や寛永本や延佳本でも同じことである(但し知が和と誤写されている場合は若干ある)。僅か十三個の用例の中で、既に三つも混用の例があるとすれば、知と智が使い分けられているという説は、果して成立し得るものであろうか。その上智の字は歌の中にあらわれた例が一つも無い。それ故、智は本来は訶(カ)などと同様に、本文専用の仮名であったとも考えられるのである。本文の中で万葉仮名書きの部分といえば、固有名詞か又は滅多に用いられない古語が多い。それ故、知が普通一般の語に用いられるのに対し、智が特殊の限られた語にのみ用いられるようになるのは自然のことである。又キヒミについては、四段活用の動詞の連用形の語尾にはその甲類(橋本先生の御命名による)を用い、上二段活用の動詞の未然形及び連用形の語尾にはその乙類を用いるというきまりがあるのであるが、チの場合には、ウチ(打)タチ(立)モチ(持)のチにも、オチ(落)のチにも、共に知が用いられている。それ故、知と智とは外見上多少は使い分けられる傾向があっても、やはり同一類の仮名と見る方が穏かであろう。
 之に反して『古事記』でモの仮名に二類の使い分けがあるということ、即ち毛と母との使い分けられているという事実は、極めて確実である。『古事記』中、毛の用例は四十八個、母の用例は百五十余個に及んでいるが、両者は截然と使い分けられて一つの例外も無い。即ち、毛の用例は、
    モユ(燃) マモル(守) ウモリ王(〓鵜守王) モコ(許処?如?) モモシキノ(百磯城之) モモダル(百足) モモチダル(百千足) モモヅタフ(百伝) モモナガ(股長) イモ(妹) ワギモ(吾妹) カモドク(鴨着) キモ(肝)クモ(雲) クモバナル(雲離) クモヰ(雲居) ヤクモタツ(弥雲立) シモツセ(下瀬) シモツエ(下枝) ホッモリ(紅顔を形容する擬態語?) イヅモ(国名) イヅモタケル(出雲梟師、人名) カモ大御神(神名) タヂマモリ(人名) 土グモ(種族名) モズ(地名) 山代之ククマモリヒメ (人名)
 母の用例は、
    モ(助詞) トモ、ドモ(雖、助詞) モユラ(真揺) モツ(持) モノ(物) モト(本) モトへ(本方) カキモト(垣下) ヒトモト (一本) ヒトモトスゲ(一本菅) ヒトモトススキ(一本薄) ミモロ(神社、又地名) オモフ(思) オモヒヅマ(思妻) カリコモノ(刈菰之) タタミコモ(畳薦) タツゴモ(立薦) コモル(籠) コモリクノ(隠国之) コモリヅノ(隠水之?) アヲカキヤマゴモル(青垣山籠) トモ(伴、共) コドモ (子等) ヲトメドモ(少女等) カルヲトメドモ(軽少女等) ヨモツシコメ(泉津醜女) モトホス(廻) モトホル(廻) トモシ(羨) シメコロモ (染衣) 天之クヒザモチ神、国之クヒザモチ神(神名) オモダル神(神名) コロモ之別(姓) タヂマモロスク(人名) フハノモヂクヌスヌ神(神名)  ヤマトトモモソビメ命(人名)
 但し開化天皇の条に「母泥能阿治佐波毘売」とある人名の最初の二字は誤で、真福寺本に「丹波能…」とあるのが多分原形であろうから、これは母の用例の中に加えなかった。
 さてオ列の仮名の中で甲乙両類に使い分けられているものは、コソトヨロの五種であるが、橋本先生がかつてお話しになった所によると、いわゆるヌの仮名に二類の使い分けがある中で、怒努の類(後世のノに対応するもの)は実はノの甲類と見做さるべきもの、普通にノの仮名と称せられている能乃の類はその乙類と見做さるべきものであろうということである。オ列の仮名に於ける両類の区別を、『韻鏡』に照して考えると次のようになる。
    (甲類)第二転一四等 第十二転一三等 第二十五転一等 第二十六転四等 第三十七転一等
   (乙類) 第八転三四等 第十一転二三四等 第十三転一等 第四十二転一三等
 現代支那諸方言について考えると、甲類の仮名に用いられた漢字の音は主として後舌母音を含み、乙類の仮名に用いられた漢字の音は主として中舌的又は前舌的(殊に前舌円唇的)の母音を含んでいる。
  甲類のオ列音と乙類のオ列音とは、同一語根(動詞は語幹)内に共存することが決して無い。唯一つの例外は、『古事記』上巻に「宇士多加礼斗呂呂岐弖」とあるその斗呂呂岐且(斗は甲類のト、呂は乙類のロ)であるが、ここは真福寺本・伊勢本、寛永本皆「許呂呂岐弖」となっている。延佳本には斗々呂岐弖とあり、古訓本は一本に拠って斗呂呂岐弖としている。斗と許とはその草体に於て互に似て来るけれど、斗が許と見誤られる機会よりは、寧ろ許のひどく崩れた形が斗と見誤られる機会の方が多くはなかろうか。その上、真福寺本、伊勢本、寛永本のような古い本には皆許となっているのであるから、解釈上からいえば斗呂呂岐弖の方がよく分るには違いないけれど、なお許呂呂岐弖(許は乙類のコ)が原形であるという可能性もかなり大きいわけである。
  次に乙類のオ列音は、ウ列音やア列音と同一語根(動詞は語幹)内に共存することが少い。『古事記』についていうとウ列音と乙類のオ列音とが同一語根内に共存する例は、ただウシロ(後)クシロ(釧)の二つだけで、その他のスソ(裾)フト(太)ツド(ツドフ、集)ツノ(タクヅノ、栲綱)クロ(黒)ムロ (室)コムラ(腓)は皆甲類のオ列音を含んでいる。
 殊にウコ(愚)クソ(糞)クロ(黒)スソ(裾)ツト(苞)ツト(ツトム、勤)ツド(ツドフ、集)ツノ(綱)フト(太)ムロ(室)ムロ(榁)のような、ウ列音とオ列音とから成る二音節語根に於ては、オ列音が二類に分れている行ならば必ず甲類のものがあらわれるということは、記紀万葉時代の言語に於て極めて著しい事実である。
  又『古事記』に於てア列音と乙類のオ列音とが同一語根内に共存する例は、コヤ(コヤル、臥)ソバ(〓木爪〓)トガ(答)アソ(親称)マロ(自称)ヨラシ(宜)の六つであるが、その中アソは普通にはアセオミ(吾兄臣)の約と見られて居り、又マロは真実の意のマに助辞のロがついたものであるとする説がある。之に対して、ア列音と甲類のオ列音とが同一語根内に共存する例は、ソナ(ソナフ、具)ソラ(空)アソ(アソブ、遊)サト(里)ハト(鳩)マト(マトフ、惑)カド(門)カヨ(カヨフ、通)マヨ(眉)コナミ(前妻)コムラ(腓)タノシ(楽)カシコ(畏)アラソ(アラソフ、争)イサヨ(イサヨフ、猶予)タダヨ(タダヨフ、漂)の十六に及んでいる。
 以上三つの音節結合の法則(法則は少し大袈裟かも知れない、寧ろ傾向という程度のものである)即ち
    1、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根内に共存することが決して無い。
    2、乙類のオ列音はウ列音と同一語根内に共存することが少い。
    3、乙類のオ列音はア列音と同一語根内に共存することが少い。
 は、『古事記』以外の文献についても同様に行われていることが看取される。試みに『仮字遣奥山路』の古呉許碁蘇曽斗度登杼怒用余漏呂諸部に対し、俗(ゾの甲類)叙(ゾの乙類)能(ノの乙類)の三部を記紀万葉の用例から補い、これらの諸部にあらわれた語根について同様の調ベを行えば次の通りになる。但し、東歌防人歌にしか用例の無いもの天平宝字三年及びそれ以前の資料に用例の無いものは之を除き、又固有名詞は一見して語原の明かなものの外すべて除外した凸、
 まず第一則については、前記の斗呂呂岐弖の外、一つも例外が無い。第二則について、ウ列音が甲類のオ列音と共存する例はウコ(愚)ウゴ(ウゴク、動?) クソ(糞)クロ(黒)スソ(裾)ツト(芭)ツト(ツトム、勤)ツド(ツドフ、集) ヅノ(綱)ブト(太)ムロ(室)ムロ(榁)コムラ(腓)フクロ(袋)の十四種に及んでいるが、ウ列音が乙類のオ列音と 共存する例は、ウシロ(後)クシロ(釧)ムシロ(莚)トブサ(樹末?)オヨヅレ(妖言)ホトトギス(時鳥)の六種に過ぎない。
 次に第三則について、ア列音が甲類のオ列音と共存する例は、ソナ(ソナフ、具)ソバ(ソバフ、戯)ソマ(杣)ソラ(空)トガ(栂)アソ(アソブ、遊)カソ(幽)カゾ(カゾフ、数)カヨ(カヨフ、通)カド(門)カド(角)サト(里)サド(サドフ、惑?)タド(タドル、辿)ナゴ (和)ナソ(ナソフ、准)ナヨ(柔軟)ハト(鳩)ハロ(遙)マト(マトフ、惑)マヨ(眉)マヨ(マヨフ、乱)コナミ(前妻)コムラ(腓)アソソ(灰)アロジ(主)タノシ(楽)ヒロカ (タヒロカス、飄掌)アラソ(アラソフ争)イサヨ(イサヨフ、猶予)カガヨ(カガヨフ、弦)カシコ(畏)タケソ(偶然)タダヨ(タダヨフ、漂)ハハソ (柞)の三十五種であるが、ア列音が乙類のオ列音と共存する例は、コヤ(コヤル、臥)ソバ(孤稜)トガ(各)トマ (トマル、留)ヨサ(瓠)アソ(親称) カソ(父)タノ(頼)マロ(丸)マロ(自称)トブサ(樹末?)アドモ(アドモフ、率)オコナ(オコナフ、行)ヲロガ(ヲロガム、拝)イヤチコ(灼然)の十五種に過ぎない(語を分析するに当つては、なるべく大切り主義を採つた。従って以上のいわゆる語根の中には、なお一層細かく分析し得るものもあるかも知れない)。
 この外 場所をあらわす代名詞の中で、ココ(此は乙類のコ)ソコ(其は乙類のソ)にはコ(乙類)がついているのに、イヅクにはクがつしている(イヅコは、ココやソコからの類推によつて平安初期に出来た形である)。これは上に述ベた第二則と関係があることであろう。又同系同義の格助詞ナ、ノの中で、ノは極めて自由に用いられるけれどもナの用法は限られている 即ちタナ(手之)マナ(眼之)マナ(真之)ミナ(水之)ハヤスヒナ(速吸之)ウナ(海之)ヌナ (項之)ヌナ(淳之)のように、ア列音、甲類のイ列音及びウ列音で終る語には着き得るけれど、乙類のオ列音で終る語についた例は古つも無い。これは多分上に述ベた第三則と関係のあることであろう。なお、助動詞ス、フ、ユの直前に立つ動詞の活用語尾の形としては、ア列音が優勢にはなっているものの、かつてはこの場合にも亦音節結合の法則が関係していたと思われる形跡が(殊にフの場合に)鮮かに見られる。
 なおタコムラ(タクブラ、手腓)マソミ(マスミ、真澄)トガ(ツガ、栂)ワカノケフタマタ(ワカヌケフタマタ、人名)アヨヒ(アユヒ、脚結)ハロハロ (ハルケシ、遙)のように、ウ列音と通うオ列音は、甲乙両類の使い分けのある行ならば通常甲類のものである。以上述べたようないろいろな事実を綜合して考えると、甲類のオ列音が明瞭な後舌母音を含む音節であったのに対し、乙類のオ列音が稍中舌的の母音を含む音節であったことは、想像するに難くない。
 以上音節結合の法則に関する説明は、ただ研究の結論を略述したに過ぎない。詳細は稿を新にして近日発表する積りである。
 さて音節結合の法則の上で、問題の毛と母とがどういう位置を占めているかというと、まずカモ(鴨)クモ(雲)モコ(許処?如?)ホツモリ(紅顔を形容する擬態語?)のようにモがア列音ウ列音又は甲類のオ列音と結合した例は皆毛の用例の中にあり、モモ(百)モモ(股)のモはいずれも二つ共毛であらわされている。之に対して、モト(本)モノ(物)モロ(神杜)コモ(菰、薦)コモ(コモル、籠)トモ(伴)ヨモ(黄泉)モトホ(モトホス、モトホル、廻)トモシ (羨)コ戸  モ(衣)のように、モが乙類のオ列音と結合した例は皆母の用例の中にある。これを以て見れば、『古事記』のモの仮名の中、毛は甲類に、母は乙類に相当するものであること明かである。なお格助詞のナは、乙類のオ列音で終る語に着く例の無いこと前述の通りであるが、ナがオ列音で終る語に着いた唯一の例は、神武紀に見える毛毛那比苔(百之人)で
 ある。而して『日本書紀』ではモの仮名に二類の使い分けは無いのであるが、『古事記』によればモモ(百)のモは本来二つとも甲類のものであった。即ちこの一例も亦音節結合の法則第三則に叶っているわけである。
 但し字音の方から見る時は、毛(第二十五転一等)が甲類の仮名として用いられることに問題は無いが、母は第三十七転一等(甲類相当)に属しているので、何故この字が乙類の仮名として用いられ得るかが問題となる。然るに周代の分韻状態に於て、第三十七転に属する若干の文字(母又友右有尤牛富など)が、同転の大多数の文字とその類を異にし、第八転及び第十三転一等に属する多数の文字、その他若干の文字と共に一類を成すものであることは、殆ど定説になっている。而して第八転(己其期碁已里止など)及び第十三転一等(豪苔耐乃廼など)に属する文字がオ列の仮名として用いられる場合には、仮名に甲乙両類の使い分けのある行では、必ず乙類に属するものである。それ故、母が乙類の仮名として用いられているのも(必ずしも周代の音とはきめられないが)、恐らくはこの種の古韻に拠ったためであろうと思われる。『上宮聖徳法王帝説』に於けるモの仮名の唯二つの用例なるモ(助詞)とモノ(物)には、いずれも母の字が用いてある。『続日本紀』のいわゆる第一詔から第五詔(神亀元年)までに見えるモの仮名の用例三十一の中、モ(助詞)二十二、ナモ(助詞)九、ことごとく母の字であらわされている。これらはいずれも、『古事記』に於ける仮名の用法と矛盾しない。
 『釈日本紀』に引かれた上宮記の逸文の中に見える母々恩己麻和加中比売は、『古事記』に百師木伊呂辨亦名弟日売真若比売とある人名に相当する。そこで大矢博士は、上宮記の母々恩己を母々思己の誤とし、『古事記』の百師木と同じ語と見て居られる。もしそうとすれば、モ又百)は『古事記』では常に毛毛と書かれている語であるから、毛と母とは既に推古天皇時代から混用されていたことになる。併しこの説には少し疑わしい点がある。即ち、己は同時代の遺文では、この人名及び他に所見の無い伊波己里和気(上宮記)という人名のほか、『仮名源流考』に引かれた十余個所ことごとくコ(乙類)の仮名として用いられて居り、奈良時代に入っても、顕宗紀に唯一個所「於己陀智」(起立)という例のある外、すべてコの仮名としてのみ用いられている。キは漢音系統の音と思われるが、奈良時代以降ならば兎も角も、推古天皇時代の仮名にこの種の音が用いられることは、あまり早過ぎはしまいか。
 併しながら、『古事記』と同じ時代に於て、すべての人が毛と母とを書き分け、発音し分けていたとは思われない。『常陸風土記』や『播磨風土記』に『古事記』と合わない用例の存することは特殊の方言をあらわすものであるからともいわれようけれど、記よりも僅か八年後に出来た『日本書紀』では、両者が完全に混用されている。又『万葉集』に引かれた柿本朝臣人麻呂歌集の歌は、文字の用法に著しい特徴のある点で真淵以来の学者の注意を惹いているものであるが、同歌集の歌にも助詞のモを毛と書いたり、地名のミモロ(記に美母呂)を三毛侶と書いたりするような、記と合わない例がある。もっともこれだけならば、『万葉集』に引かれる際多少の変形を蒙った結果とも見られないことはないが、助(ノり)詞カモ、ガモ(記ではいずれにも母を用いる)に鴨(記には加毛とある)を充てるが如きは、人麻呂歌集の歌に極めて普遍的にあらわれる用字法であって、必ず原形に於てもそうであったろうと思われるのである。
 『古事記』とほぼ同時代の多くの書物に於て、毛と母とがかように混用されているとすれば、たとい『古事記』で両者が使い分けられていても、それは恐らく音韻上の区別をあらわすものではあるまいという疑も起ろう。併しこの使い分けが音節結合の法則にぴったり合っているという事実から見れば、毛と母との間にはどうしてもコソトノヨロに於ける両類の区別と同様な音韻上の区別があったものと見るより外はないのである。然らば、一歩を譲って両者の間に音韻上の区別を認めるとしても、同時代の書物に於て既に多くの混用の例が存する以上は、『古事記』撰録の時代に於ける発音をそのままあらわしているものとは思われない。もし音韻上の区別とすれば、それは『古事記』の基礎になったいわゆる先代旧辞の書かれた時代の音韻状態をあらわすもので、『古事記』はただもとの文字をそのまま踏襲しただけではないか、と疑う人があるかも知れない。併し『古事記』の基礎になった先代旧辞といえば、どうしても壬申の乱以前のものでなければならず、壬申の乱といえば聖徳太子の嘉後五十一年、記の撰録当時を去ること四十年の昔に当る。それ程古い時代に書かれたものとしては『古事記』の仮名字体は全体として余りに奈良時代的である。その上その序文に「然上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心。全以音連者、.事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全以訓録。即辞理巨見、以注明、意況易解更非注。亦於姓日下謂玖沙詞、於名帯字謂多羅斯、如此之類、随本不改。」と見える趣から考えると、『古事記』に於ける文字の用法は、無論大体はその当時の習慣に従うたことではあろうが、細かい点に至っては、安万侶自身が独特の方針を以て自由に選択したものと考えられる。それ故、仮名の字体や用法について多少は旧辞の影響を受けた点はあるかも知れないが、もしも安万侶自身が毛と母とを音韻上区別していなかったならば、たとい旧辞に毛と母とが使い分けられていたとしても、それを見てその使い分けられなければならなかった理由を理解することは出来ないわけであり、従って彼自身が自由に仮名を用いて古語や古歌を写すに当り、二百有余の用例の中で一つや二つ混用の例を作らない筈は無い。結局、どう考えて見ても、『古事記』に於ける毛と母との使い分けは、安万侶自身の言語に存した音韻上の区別に基くものであったと考えるより外は無いのである。安万侶は記の撰進後十一年にして残したが、その享年は明かでない。併し特に命ぜられて『古事記』の撰録に当る位の人ならば、その学識に於て一代に聞えていたことは勿論であるが、又当時既に相当の年輩の人であったことも想像するに難くない。音韻状態の変化しつつある過渡期に於て、既に一般の人々には忘れられてしまった音韻上の古い区別がただ少数の高齢者にのみ記憶されていることは有り得べきことである。
 なお、『万葉集』巻五では、別に毛と母とが使い分けられているというわけではないけれど、『古事記』で毛を用いた場合には多く毛を用い、『古事記』で母を用いた場合には多く母を用いる傾向が相当に著しい。
  (一) 記で毛を用いた場合(合計 毛一四 母二)
  モユ(燃) 母一
  モモ(百) 毛六(毛毛と書いた所三個所)
  イモ(妹) 毛四 母一
  クモ(雲) 毛四
 (二)記で母を用いた場合(合計 毛一三 母一〇四 その他)
  モ(助詞) 母六八(六七乃至七〇) 毛八(又は七) 聞二 勿二 茂一 [イ舞]一 忘一 (裳一)
  トモ(雖) 母五 毛二 勿二
  ドモ(雖)母五毛一
  モツ(持) 物一
  オモフ(思) 母一四 毛一 忘一
  トモ(共)母一
  ドモ(等) 母三
  トモシ(羨) 母一
  モト(本) 母一 毛一
  モノ(物) 母六 物三 勿一
 但し巻末に「右一首作者未詳。但以裁歌之体似於山上之操、載此次焉。」(一首とはあるものの、この註の直前にある短歌一首だけを指すものとは思われない。長歌一首及び短歌二首の全体にかかる註と考えるより外は無い)として附載されている恋男子名古日歌三首は、仮名の字体に於て巻中の他の部分殊に憶良の歌とは大いに異なっている。それ故、歌は或は憶良のものかも知れないが、文字は憶良の書いたままではあるまじく、その書き下された年代も明かでない故、右の表の中では勘定に入れなかった。この表は流布本によって計算した結果であるが、文字の種類及び数は本によって多少違っている。括弧の中に記したものは即ちそれである。かように『万葉集』巻五のモの仮名の用法に記と一致する場合の多いわけは、同巻が『万葉集』中で比較的古い部分であるためばかりでなく、殊に巻中の主要な作者(旅人.憶良等)がいずれも当時七十代又は六十代の高齢者であるため、古い習慣が文字の用法上に多く保存されたものと見ることが出来る。もっとも毛と母の用法上、記と一致しない例は、この両人の歌の中にも少数ながら存するのであって、彼等が果して毛と母とを実際音韻上区別していたかどうかは疑わしい。併し「法王帝説」や初期の宣命や『万葉集』巻五に於て、モの仮名の用法上『古事記』と相通ずる点の存するという事実は、かつてモの仮名が世間一般に両類に使い分けられていた時代の存在することを暗示するもののように思われる。
 念のため、『古事記』にあらわれるモの仮名の用例を全部挙げておく。
      一、毛
   1、燃ゆ 毛由流(景行、履中)
   2、守る 伊由岐麻毛良比(神武) 宇毛理王(敏達)
   3、もこ(宣長は許処の義とし、守部は如の義とす) 和賀毛古遍許牟(応神)
   4、百 毛毛志紀能(雄略) 毛毛陀流(雄略) 毛毛知陀流(応神) 毛毛豆多布(応神、顕宗)
   5、股 毛毛那賀爾(神代) 毛毛那賀邇(神代)
   6、妹 伊毛(神代ニツ、応神、仁徳、允恭二ツ)和藝毛(仁徳)
   7、鴨 加毛度久斯麻(神代)
   8、肝 岐毛牟加布(仁徳)
   9、雲 久毛(神武ニツ) 土雲【訓雲云具毛】八十建(神武) 玖毛婆那礼(仁徳) 久毛韋(景行) 夜久毛多都(神代)
   10、下 斯毛都勢(允恭) 斯毛都延(雄略)
   11、ほつもり(紅顔を形容する擬態語か) 本都毛理(応神)
   12、国名 伊豆毛(神代) 伊豆毛多祁流(景行)
   13、地名 迦毛大御神(神代)
   14、人名 多遅摩毛理(垂仁ニツ) 多遅麻毛理(垂仁、応神)
   15、種族名 土雲【訓雲云具毛】八十建(重出、神武)
   16、地名 毛受之耳原(仁徳) 毛受(履中)毛受野(反正)
   17、人名 山代之玖玖麻毛理比売(景行)
  二、母
   1、も(助詞) 母(神代十七、神武ニツ、景行二ツ、仲哀二ツ、応神八ツ・仁徳十一,履中・允恭八ツ・雄略十八、顕宗四ツ)
   とも(雖、助詞) 登母(神代、神武、仁徳三ツ、允恭) ども(雖、助詞) 杼母(応神)
   2、も(接頭辞) 母由良邇(神代) 母由良爾(神代ニツ)
   3、持つ 母多勢良米(神代) 母知(神武二ッ、仁徳二ツ、雄略) 岐許志母知袁勢(応神) 母多受(仁徳) 母知て(履中)
   4、物 母能(仁徳、履中、雄略ニツ)
   5、本 母登(神武、応神、雄略三ツ) 母登幣(応神) 加岐母登(神武) 比登母登(神武) 比登母登須宜(仁徳ニツ) 比登母登須須岐(神代)
   6、神杜(又は地名)美母呂(仁徳、雄略ニッ)
   7、思ふ 意母閇杼(景行) 意母布(応神) 許許呂波母閇杼(応神ニツ)淤母比伝(応神四ツ) 阿比淤母波受阿良牟(仁徳) 阿賀母布伊毛(允恭) 阿賀母布都麻(允恭) 淤母比豆麻(允恭、雄略) 意母比豆麻(允恭)
   8、菰、薦 加理許母能(允恭) 多多美許母(景行、雄略) 多都碁母(履中)
   9、籠る 刺許母理坐也(神代) 許母理久能(允恭ニツ) 許母理豆能(仁徳) 阿袁加岐夜麻碁母礼流(景行)
   10、伴、共 等母邇(仁徳) 登母(神武) 古杼母(応神) 袁登売杼母(神武) 加流袁登売杼母(允恭)
   11、黄泉 豫母都志許売(神代)
   12、廻す 本岐母登本斯(仲哀) 斯麻理母登本斯(清寧)
     廻る 波比母登富呂布(神武、景行) 伊波比母登富理(神武)
   13、羨し 登母志岐呂加母(雄略)
   14、衣 斯米許呂母(神代)
   15、神名 天之久比奢母智神(神代) 国之久比奢母智神(神代ニツ)
   16、神名 淤母陀琉神(神代)
   17、地名 許呂母之別(垂仁)
   18、人名 多遅摩母呂須玖(応神)
   19、神名 布波能母遅久奴須奴神(神代)
   20、人名 夜麻登登母母曽毘売命(孝霊)
     三、その他
以上のほか、
   風木津別之忍男神【】(神代)
    文漏邪夜能(仁徳)
  の木・文の如きも或はモの仮名であるかも知れないが、確実でないから除いておく。なお、
    母泥能阿治佐波毘売(開化)
の母泥は恐らく誤で、真福寺本に丹波とあるのが原形であろう。
 最後に固有名詞のモを含む部分を、訓読すべき漢字によってあらわした例は次の通りである。これらの中には漢字本来の意味に用いられていると認められるものもあり、又借字と考えられるものもあるが、どちらか区別のつき難いものも甚だ多い。

   1、豊雲野神(トヨクモノノカミ(神代)
   2、黄泉国、黄泉戸喫、黄泉神、黄泉軍、黄泉比良坂(三ツ)黄泉津大神((以上皆神代)
   3、思金神(神代七ツ)
   4、出雲(神代八ツ、垂仁四ツ、景行) 出雲建(景行五ツ) 出雲郎女(継体)
   5、御諸山(神代、崇神)
   6、喪山(神代)
   7、大伴(神代、神武、景行)大伴王(欽明)
   8、佐比持神(神代)
   9、贅持之子(ニヘモツノコ(神武)
   10、土雲   (神武)  訓雲云具毛
   11、宇陀水取(神武)
   12、物部 (モノノベ)(神武清寧継体)
   13、大物主神(オホモノヌシノカミ)(神武)大物主大神(ォホモノヌシノォネガラミミ)(崇神ニツ)
   14、大倭日子銀友命(ナデテヤマトヒコスキトモノミコト)(安寧ニツ、蟄徳)
   15、大吉備諸進命(ナホキどノモパスデ こノニラコト)(孝安)
   16、三野国之本巣国造(開化)
   17、道守臣(ラナモリノォミ)(開化)
   18、鴨君(カモノキミ)(崇神)
   19、三川之衣君(垂仁)
   20、守君(景行)
   21、御銀友耳建日子(景行)
   22、大靹和気命(ナでホトモワレノノミコト)(仲哀ニツ)
   23、大山守命(オホヤマモリノミコト)(応神七ツ)
   24、山守部(ヤマモリベ)(応神)
   25、酢鹿之諸男(スカノモロヲ)(応神)
   26、百師木伊呂辮(モモシキイロベ)(応神)
   27、川内恵賀之裳伏岡(カフチノヱガノモフシノヲカ)(応神)
   28、日向之諸縣君牛諸(ヒムカノムラガタノキミウシモロ)(仁徳)
   29、坂本臣(サカモトノォミ)(安康)
   30、橘本之若子王(クチバナモトノワクゴノミコ)(欽明)
   31、岡本宮(ヲカモトノミャ)(敏達)
  以上の訓は大体宣長の説に拠ったのであるが、この場合はそれで大過は無さそうに思われる。
    日向国之諸縣君(応神) 日向之諸縣君(仁徳)
の諸縣については、『古事記伝』に、「諸縣君(ムラガタノ)は、和名抄に、日向(ノ)国諸縣(ノ)郡牟良加多(ムラガタ)とある是なり(何れの古書にも、みな諸縣と書たるを思へば、本は毛呂賀多(モロガタ)なりけむを、牟良(ムラ)とはやや後に訛れるも知(リ)がたけれど、姑(ク)和名抄に依て訓(メ)り云々)」と言っている。
 さて、雲(クモ).守(モル)・鴨(カモ)・百のモは字音仮名では常に毛の字であらわされている故、以上の中1 4 10 17 18 20 23 24 26に含まれたモは甲類のものであり 黄泉(ヨモツ).思(オモフ)。伴(トモ)(友(トモ)).持(モツ).物(モノ).本(モト).衣(コロモ)のモは字音仮名では常に母の字であらわされている故、 2 3 7 8 9 12 13 14 16 19 21 29 30 31に含まれたモは乙類のものである。又地名のミモロは字訓を借りては御諸、字音を借りては美母呂という形であらわされている故、諸(モロ)のモは乙類のものであり、従って15 25 28に含まれたモも乙類のものと考えられる。併し喪(モ).水(モヒ).靹(トモ).裳(モ)については、字音仮名書きの例その他モの所属を決定するに足る証拠が見当らないため、6 11 22 27に含まれたモは甲類のものか乙類のものか不明である。
 以上のうち 国名のイヅモは出雲の字を借りてあらわされて居り、大和の地名カモは鴨の字を借りてあらわされている故 これらのモは雲(クモ).鴨(カモ)のモと同じく甲類のものと思われるのであるが、字音仮名でもやはり伊豆毛・迦毛と書かれて居り まさしく甲類の仮名を用いてあるのである。
 固有名詞以外の語に含まれたモの音を、漢字の訓を借りてあらわした例としては、
   八十友緒(ヤソトモノヲ)(八十部長允恭)
位なものであるが、友と部とは本来同じ言葉であろうから・発音も多分同じことであったろうと思われる。
 前稿に述べた音節結合の法則は、之を簡明にまとめていいあらわせば次の通りである。
   第一則、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根(動詞は語幹)内に共存することが無い。
   第二則、乙類のオ列音はウ列音と同一語根(動詞は語幹)内に共存することが少い。
   第三則、乙類のオ列音はア列音と同一語根(動詞は語幹)内に共存することが少い。
  この中確実に言い得ることは、
   1、甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一語根(動詞は語幹)内に共存することが無い。
   2、ウ列音とオ列音とから成る二音節語根に於て、そのオ列音は乙類のものではあり得ない。
  という二つの事実であり、その他は寧ろ傾向という程度のものである。
    『国語と国文学』第九巻第一一号(昭和七年)



http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/on-insi/05.pdf

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年01月19日 17:53