プロローグ


黄昏が迫り、夕闇が辺りを包む中、一つの影が希望崎学園、旧校舎の前に立った。
年の頃は40~50代程度か。眼鏡をかけ、スーツ姿のやや痩せ形のその男の名は長谷部。
この希望崎学園の数学教師にして生活指導主任でもある。

寂れた木造式の旧校舎の玄関へと上がり、地下階段へと進んでいく。
その足取りは、重い。
長谷部は足を進める間、これまでのことを思い返していた。

この旧校舎に人の気配はほとんどない。特に彼が今向かっている地下の旧資料室は
余程の物好きの学生がたまに訪れる程度の場所だ。
だが今、この希望崎学園全体にはかついてない緊迫した空気が流れている。
本校舎の方では今の時間でも血気に溢れた一部の学生が生徒会、あるいは番長グループに属する誰かを糾弾する声を
張り上げているかもしれない。
それを思うと長谷部の胸は、痛む。

ほんの一ヶ月程前まではとても和やかで平和であった学園がこのようなことになったきっかけは一人の少女によるものだ。
山乃端一人。
彼女を巡り、この学園は生徒会と番長グループという二大勢力による争いの場となろうとしている。

山乃端一人は魔人である。だが彼女の能力を彼女自身は分かっていない。
魔人の中には覚醒しながら自分の能力が何なのか認識していない魔人も稀に存在する。
だが長谷部は知っていた、日本政府が裏で公的に認定した彼女の魔人能力は
「山乃端一人の周囲では彼女を巡り、必ず争いが発生する」というものである。
この能力は本人の自覚なく、無意識の内に発動される。
どのようなタイミングで、誰に対して争いが発生するかは誰にも知覚できない。
だが山乃端一人がいれば、彼女の周囲で彼女を巡り、必ず敵対する二人の人間、あるいは二つの勢力による争いが発生する。

最初にこの能力の影響を受けたのは彼女の両親であった。次にクラスメイト、親戚、近所の人々……。
様々な争いを巻き起こした後、遂には彼女の住む地域の地元暴力団と警察の全面抗争が発生し、
ようやく日本政府は彼女の能力を認識するに至った。
一歩間違えれば国同士の争いをも発生させかねないこの能力は、日本政府によって特A級の危険指定を受け、
直ちに彼女を隔離すべきという意見が政府の対魔人政策チームによって提言された。
これに異を唱えたのが長谷部である。
彼の学園教師という肩書は表向きのものであり、本当の顔は魔人学園であるこの希望崎学園を管理する権限を与えられた
日本政府公認のエージェントであった。

だが長谷部は政府内でも一定以上の勢力を占める、魔人に対する差別意識を持つ魔人弾圧派とは一線を画していた。
彼の信念は魔人も一人の人間であり、魔人の持つ心は決して普通の人間と変わらない、
体を張り、心を割って話し合えば必ず理解し合える、というものである。
甘すぎる理想論と言われるかもしれないが、彼は20年近く魔人を相手にした教師という職業につくことで
自分の考えは間違っていないと確信していた。
確かに魔人の中には暴走しやすい者も多い。時としてその特異な能力を持って周囲に刃を向けてしまうこともある。
長谷部自身、そうした魔人達を指導する中で何度も体を傷つけられてきた。彼の体の中には一生消えない傷痕が無数に残っている。
だが長谷部はそれを勲章と考える。
どんなに困難にぶつかっても最後には彼らと分かりあい、無事に卒業させることができた。
長谷部は魔人ではなかった。そんな彼でも生徒たちと全力で向き合えば、何ら普通の生徒と変わりなく接することはできたのだ。
それこそが彼らが一人の人間であるという証である。

山乃端一人にしてもそうだ。本来の彼女は、その不遇な境遇にも負けず、とても明るく、
誰とでも分け隔てなく接する、いたって普通の少女である。
彼女が魔人能力に覚醒したきっかけも小学生の時に見た恋愛ドラマでヒロインを巡って二人の男性が争う姿を見て、
自分もこんな情熱的に求められたいとそのヒロインに憧れを抱いたことが原因だ。
そんな他愛もない少女の妄想に突如力を与えてしまうこの世界の方が悲劇なのだ、と長谷部は思う。

何より彼女の周囲で争いが起こるのは、彼女だけが全ての原因というわけではなかった。
彼女の両親は父親が浮気を繰り返していたし、母親も若い男と不倫をしていた。
彼女の近所で起こった争いにしても、彼女が住んでいた地域は元々治安が著しく悪いところとして有名であったのだ。
それらは悲劇的な事ではあるが、彼女が魔人に覚醒しなくても元から争いは発生していたのではないか。
きっかけは確かに彼女だったかもしれない。だが、例え彼女の存在があっても争いのきっかけが元々ないところ、
あるいは争いが生まれても、それを自然と治められる場所に彼女を置けば、彼女の能力は無害になるのではないか。
山乃端一人に関する資料を読んだ長谷部はそう思い、そして彼女をここ希望崎学園に入学させることで
それを証明しようとしたのである。

実際のところ、それは最初の内はとてもうまくいっているように見えた。
この希望崎学園には魔人であっても、今を懸命に生きる若者たちが明るく学園生活を送っている、
それまでの不幸な境遇から、やや暗くなりがちであった山乃端一人も、すぐにこの学園に打ち解け、
元来の明るさを取り戻した彼女はたちまち学園の人気者となった。
長谷部はその姿をとても微笑ましく眺めていたものだった。だが……。

(だというのに、何故こんなことに……)

長谷部は旧校舎地下の奥深くにある資料室の扉を開ける。
あまり人が立ち入らないこの部屋にはやや埃が目立つ。並べられた戸棚の上には古代から残る魔人に関する資料や、
魔人の残した遺物等が飾られている。

長谷部の回想は今回の事態に至ったあの出来事の時にまで遡っていた。
希望崎学園祭。
年に一度のこの大イベントは、この日のために心血を注いだ生徒会、番長グループの努力の甲斐もあり、
大盛況のうちに終わった。
だが問題はその催し物の一つである、ミス・ダンゲロスコンテストのグランプリに
山乃端一人が選ばれたこと、そして彼女が授賞式の壇上で「彼氏なし」を公言してしまったことである。

学園内での人気が高かった彼女は当然、異性、同姓を問わず、憧れを抱くものは多かった。
だがその誰とでも分け隔てなく接する性格と、彼女の明るさから、自然と付き合っている男はいるのだろうという噂が流れ、
彼女に告白しようとする者はいなかった。
実際にはそれは彼女を巡ってつまらぬ男女の諍いが起こらぬよう配慮した長谷部によって
仕組まれたものであったのだが、その長谷部の労苦はこれにより水泡と帰した。
他愛もない学生によるイベントの、他愛もない一つの質問が、まさか学園を二分する争いを引き起こす火種に
なるだろうと想像できるものなど誰もいなかったのだ。

「山乃端一人に彼氏はいない」この情報は瞬く間に学園を駆け巡り、当然、彼女に強い憧れを抱く人達の心を刺激した。
そして遂に彼女に対して告白をしよう!と思い立った者達がいた。
そしてそれはよりにもよって学園で大きな勢力を持つ、生徒会、及び番長グループで中心的存在であった
二人の人物だったのである。
二人の人物は「自分は山乃端一人に告白する」と周囲に宣言し、彼女の元へ向かおうとした。
だが所属する勢力の大きさと彼ら自身の人徳からか、その宣言はすぐに互いの人物、
及びその人物が所属する勢力の人々に知れることとなる。
「抜け駆けをする気か」「何を言う、妨害をしようとしているのはそっちだろう」と
二つのグループの間で自分の仲間の告白を成就させてやろうと意気込む者達による諍いが発生。
始めは小さな小競り合いであったその争いは、しかし互いの勢力の中にいるごく一部の過激派の扇動もあり、
たちまち大きな抗争へと発展していったのである。

長谷部の口からため息が漏れる。
生徒会と番長グループは学園内における二大勢力ではあったが、決して敵対関係、というわけではなかった。
単に気の合うもの同士が、自分の性格からどちらかのグループに所属することを選ぶだけで、
生徒会だから秩序を重んじるとか、番長グループだから不良であるとか、必ずしもそういったレッテルで張られるわけでもない。
二つの勢力の中には、所属するグループの垣根を越えて個人的に親しい者達もいる。
だが、そんな関係であったはずの二つのグル―プが山乃端一人を巡り、一触即発の関係に陥っている。
もはや、互いに雌雄を決さねば収まりがつかない程に。

長谷部は資料室の奥深くへと進み、一つの小箱を取り出した。
その封を解き、丁寧に箱を開ける。
中には一冊の本といくつかの丸型の形状をした装飾物が入っていた。
その装飾物はやや古風な趣であったが、現代人が見ればバッチと表現するものであった。

長谷部は本を開く。その中には争い事に関するいくつかのルールが書かれていた。
一度発生したこの大きな戦いの流れはもう止められない。ならば決着をつけてやるしか止める方法はない。
だが強すぎる力を持つ魔人同士が戦えば、命に関わる自体が発生する可能性は少なくない。
教師として、一人の人間としてこの学園を見守ってきた長谷部としてはそのような事態を許すわけにはいかない。
ゆえに人死にが発生しない、極めて平和的な争いによって解決しなければならない。
そんな矛盾したやり方が果たして存在するのか。その答えが長谷部が今手にしている古(いにしえ)の戦闘方法のルールと
その為の小道具であった。

長谷部は箱を持ち出し、資料室の外に出る。
もはや一刻の猶予もない。政府内の魔人弾圧派は「それ見たことか」「やはり魔人は政府によって厳正に管理、統制すべき」と
攻勢を強めている。
既に魔人公安を出動させて学園内を鎮圧すべきであるという意見まで出ている。
そのようなことになれば、数十年以上かけて創り上げてきたこの学園における魔人の自由と平和は崩壊してしまうだろう。
そして一度崩れ去ったものはもう二度と取り戻すことはできない。
この学園は図らずも魔人に覚醒し、道に迷う若者達の最後の「希望」の場なのだ。
つい先日も強すぎる力に覚醒し、周囲と断絶していた一人の魔人をこの学園に「転校」させた。
彼もまた今、真っ当に道を歩もうとしている。
その平穏を、壊させるわけにはいかない。
長谷部は身を削る思いであらゆる歴史上の資料を当たり、遂にその「方法」に辿り着いた。
そしてそれを実現する手段は今ここにある。
既に学園の理事会を通じ、日本政府の承認は得ている。
この学園で近いうち、かつてない大きな「戦争」が行われる。
だがその「戦争」は互いの知力と武力を結集する総力戦でありながら、決して人が死んだり、大きく傷ついたりすることのない、
極めて平和的なものになるはずだ――。

第一次ダンゲロスハルマゲドン、勃発。
長谷部は願う。この戦いが、後になって彼らが自らの輝かしい青春の1ページであったと振り返れるようなものであることを――。

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最終更新:2014年12月04日 22:04