山田孝雄『漢文の訓読によりて伝へられたる語法』「四十六 結論」

 以上、章を重ねて、余は漢文の訓讀がわが國語の語遣と交渉せしことの大要を述べたり。しかも、仔細に見れば、なほいふべきこと少からざるを覺ゆ。或は、漢文の訓讀の爲に慣用せられて、今日成語の如くになれるものあり。たとへば、
  就中(ナカンヅク)
  加之(シカノミナラズ)
  遮莫 任地(サモアラバアレ)
の如きこれなり。又漢文の訓讀の爲に古語の今日に傳はれるものも少からず。
たとへば 
 恰、宛 (アタカモ)
 將  (ハタ)
 幾何 (イクバク)
 宜哉 (ムベナルカナの「ムベ」)
 必シモ (の「シモ」)
の如きこれなり。又一種特別の語遣といふべきものあり。たとへば
  不啻 タダニ……ノミナラズ
     ……モタダナラズ
の如きこれなり。
 なほ、以上の外にも漢文の訓讀が國語國文の上に及ぼしたる影響は少からずして、それらの委曲の事はそれ〴〵方面を別にして観察すべきものなるが、今これを國語の語遣の上に局限して考ふる場合に於いてもその影響は多方面にして決して単純にあらずと考へらる。今、それらを概括して考ふるに大體次の如く三樣に分ちうべく思はる。
 一、 漢籍訓讀によれるが爲に、古代の語遣の現今にも傳はれるもの。その例
    ごとし いはゆる
    しむ  いはく
    おもへらく
    あるいは
   等なり。
 二、それにあてたる漢字の意義性質より感化を受けて語はかはらねど、意義性質の上に、本來、國語としてはかってあらざりし語遣を生じたること、その例
    かつて  すでに  かつ
    ゆゑに  いまだ  ために
    のみ   以て   ところ
    これあり、これなしの類
   等これなり。
  三、それに宛てたる漢字の訓讀よりして國語の上にかつてあらざりし語を生じたるもの。
    および  ならびに
    ゆゑん
   等これなり。
 かくて之を要すれば、或は古語又は古代の語遣が今に傳へられ或は又新なる語遣がこれによりて生じ、或は又國語の意味用法若くは語格が、これが爲にゆがめられたりなど、さまざまの現象を呈したりと見らるるなり。
 かくしてそれらの語又は語遣が、その和漢混淆文たる性質に基づいて普通文の語遣に影響せる點頗る大なれば、現代の普通文の語遣はこの漢文訓讀に淵源を求むべきもの多々あることを知らざるべからず。この點を認めずしては現代の普通文は十分に了會するを得ざるものなりとす。この故に現代の普通文の文法を以て平安朝の語法によるといぶが如きは全く誤なりとはいふべからざれど、正鵠を得拠る見解なりともいふを得ざるなり。之を以て吾人は現今の普通文の文法の研究は現今の状態よりもなほ深くこれらの方面に歩武を進めざるべからざるものなりとす。
 然れども、これらの研究は決して現代の普通文の爲のみにあらぎるなり。現今行はるる口語體の文といふものを見るに、その用言の活用をば口頭語の如く、二段活用の語を一段活用にし、終止形のかはりに連體形を持ちゐること、並に「なり」のかはりに「だ」「です」「である」「であります」等を用ゐることなどの事あれど、實は、これらの點のみをかヘたるに止まりて、その他の用語又表現法は普通文と全然同じといひて可なる程度のものにして、ここにも、この漢文訓讀によりて傳へられたる、語及び語遣は明かに著しく存するものなれば、この方面より見ても決して忽諸に附せられて可なりとすべきものにあらざるなり。
 以上、現代の言語、文章に關係ある點のみを論じたるものなるが、顧みれば、漢語漢文の我が國に入りてより、ここに二千年を經たりといふべきなり。その間に國語の受け拠る影響は頗る大なるものあるべきなり。本書に述べ拠る所の如きは眞にそれらの一部分に止まれり。されど、ここに述べたる點は國語の生命點ともいぶべき語遣の上に及ぼせる點なれば、これらの研究は蓋し、最も重要なる點たりといふを得べきものなり。しかも余は上の如き研究を以て滿足すべきものとは自らも思はざるものにして、たゞこれを一の刺戟として、それらの基礎につき、又それらの全般にわカわて、根本的の研究を施し、一は以て國語の眞の史的研究に資し、一は以て國語將來の大計の爲に資料となるべきものの起らむことを希ふものなり。
 ここに終に臨みて、この漢文の訓讀法につきてその歴史的背景と、その根柢に横はる理法とを概括しおかむとす。
 熟惟みるに、漢文訓讀の歴史はその背面に文化の歴史を有せるものと思はるるなり。點發法漸く廢れて、捨假名法漸く興らむとせる時代の前にあたりては、必ず先づ簡便なる文字たる假名の成立するものあらざるべからず。假名の成立は捨仮名法の工夫を起さしむる所以。而、そが簡にして明かなるの便を感ずる以上、如何に博士家にありて舊法を維持せんとすとも、世の進運は必ず之を用ゐしめず、早晩その簡便なる捨假名法に謳歌するに至るは必然の勢なり。これ即ち、人智發展の史的事實を背景としての漢籍訓讀法史の一面なり。更に又漢籍を用ゐても意味直に通ぜざる時代にありては勢、訓讀をも之を添へざるべからず。音訓併用の讀法はこの爲に生ぜしものにして、さる事の行はれし時代の國民の國語或は之を以てトし得べし。然るに一旦漢語が常用語中にも入り、之を用ゐることの我が國語感を害せざるものなりとの信念一般社會に採用せらるゝに及びては、また音訓併用の煩雑なる手數をかくるに及ばざるなり。徳川幕府時代中葉以後は帥ちこの感の一般に承認せられたる時代なり。この故に余は、些々たる如く見ゆる漢籍訓讀の上にも隱微なる社會人心の發動のトせらるゝものなりとの主張を有するなり。
 されば漢籍訓讀の歴史は、文化史の一面として忘却すべからぬものなることいふまでもなけれど、余がこゝに説かんとするは、なほ他の方面なり。
 漢籍訓讀の上に、變遷あり、又その變遷が、國民文化の發展を動力とすること上述の如しといへども、その全體を通じて古今一貫の主義あるを認む。その主義とは、漢籍をよむはその意義をよむにありて、その語を學ぶにあらぬことなり。即ち漢籍訓讀とは國語に詳し讀むの義にして、國語を以て漢籍を讀むの義なり。この故に國語感の變遷と訓讀法の變遷と常に雁行するなり。この點につきて見れば、古来の漢籍訓讀と現世の西洋語學習とは根本に於いて相違あり。漢語廢止の聲盛なりといへども漢籍の流行に大なる影響の生ぜざるはこの故なり。
 漢籍訓讀法は實に漢語排斥せられなば、また面目を一洗するを辭せざるべきものならむ。然れども現今の状況にてはこはいふべくして行はるべからず。漢籍流行の沮止に大なる影響を與ふべきものは古代支那思想の排斥にあり。この事行はれざる以上漢籍流行は我が日本國にては沮止せらるべきものにあらず。國民主義勃興し教育上の高級の事確立して之が爲に漢籍の必要を感ぜざるに至らむには或は論ずることもなくならむか。されど之にかはるものなくして、漫に破壊を企つるが如きは吾人の與せざるところなり。今、若し、この訓讀法を改めて、現今の西洋語學習の如くにせば、これ即ち純然として漢語讀誦の方便に供せられたるものとなりて、一般人と交渉すること少くなり、かくて漢籍は早晩國民文學より排斥せらるるに到るべきなり。かゝる事もなくして輕擧せば、その書の及ぶところはかり知るべからざらむ。一知半解の輕擧をなして悔を千歳に貽さざらむ用意こそ肝要なれ。
 更に眼を轉じて、この訓讀法の根柢に横はる理法を考へみむ。我が國の漢籍の訓讀法は先にもいへる如く單に漢文の意味を理解せむとしたるにあらずして、その漢文をば、國語に飜譯してよむことなり。しかも、それをなるべく漢文の姿に即し、しかも國語を離れずしてよまむとするなり。これこの漢文訓讀の根柢をなす一大原理なりとす。この原理に基づきてここに漢語漢文と國語國文との問に交渉を生ずるなり。かくして、なるべく、一の漢語の表現と一の國語の表現とを決定的に簡単に必然的の結合をなさしめむが爲に努力したるものにして、それが爲に、或は漢語漢文が多少その本義と異なるものとなりて國語化せられたるものも少からぎるが、或はその漢語漢文の勢力が勝を制して國語をゆがめ、若くは國語に新たなる語若くは新たなる表現法を加ふるに至れる點亦生じたりしなり。かくしてその訓讀法が時代によりて多少の變遷なきにあらずといへども大體はもとより保守的のものなれば、古代の語又は語法がよくこれによりて今日にまでも傳へられたるなり。かくしてわが國語國文の表現法の雑になりて後世に便を與へたる點少からぬことは現代の口語體の文といふものを見ても知られたり。以上の事實を顧みず、若くは知らずして、漫然これを排斥するが如きは角を矯めて牛を殺すにも似たることなるべく、わが國語の爲には慎重の態度を以て臨まざるべからざることをここに世に忠言して止まざるなり。

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最終更新:2018年12月17日 10:44