最初の空襲

08.最初の空襲
昭和20年の始め、私が国民学校2年生の3学期に、鹿児島市は初めての米軍による空襲を受けました。その受けた被害を祖父に連れられて兄と一緒に見にいったのです。今考えると随分のんびりした行動だったと思います。祖父にどういう意図があったかわかりません。男の子だからこれが戦争だということを分からしめるために、連れていったのか、単に自分が物見遊山的な気持ちで行ったのかは、わかりません。この時の被害は大きなものではなく、数軒の家が爆弾で破壊されていました。しかし、被害を受けていないある家の畳の上に数人の人が寝かされていました。その人たちは全く動きがありませんでした。異常な状況を感じ、つい目を背けてその家の前を急いで通り過ぎた記憶があります。おそらく爆撃で亡くなった人たちだったと思います。
その後も、空襲を受けましたが、その状況を見にゆくということは二度とありませんでした。鹿児島は特攻隊の基地がありましたし、最初の本土上陸地点とも噂されていましたから、空襲は激しかったのです。もうとても見にゆく余裕はありませんでした。
私の祖父は明治の前の年号慶応生まれです。その時代の武家に育った男です。私には会話をしたという記憶はありません。笑わず、話さず、晩年はただいつも斧を振りかざし薪割りをしてました。刀を斧に変えたつもりだったのでしょうか。

(工事中)


名前:
コメント:

すべてのコメントを見る
最終更新:2017年07月30日 04:52