疎開

10.疎開
空襲が激しくなり、焼け出された事もあり、母と我々兄弟4人は、鹿児島市から母の実家川内市の飯母に疎開しました。市といっても家が点在する農家で、ほとんど空襲を受ける心配はありません。
ところが、再び空襲に怯えることになりました。母の実家から徒歩で30分以上のところに樋脇町という数千人の人が住む街がありました。こんな小さな町をも米軍の艦載機が空襲してくるようになりました。それも家の真上を通って銃撃するんです。飛行機の乗組員が見えるんじゃなかろうかと思われるぐらい低空飛行し攻撃してくるんです。私は恐くて防空壕代わりの近くの山の斜面に掘った横穴へ逃げ込げこみました。ところが伯母は庭でやっていた農作業の手を休めないのです。びっくりしたものでした。空襲による死より農作業がもっと大事と考えていたのでしょうか。確かめようにももうこの世にいない伯母です。

(工事中)

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最終更新:2015年09月07日 16:37