弟の死

12.弟の死

弟がなんの病気で死んだのか全く憶えていません。憶えているのは、なんの表情もなくただ横たわっている姿だけです。私にも非常事態だということは、わかりました。弟はわずか四歳でした。家から徒歩で30分以上かかる樋脇という街から女性の医者が駆けつけてくれました。車があるわけじゃなく、せいぜい自転車だったと思います。それに往診を頼んでようやく来てくれたという状況だったと思います。
医者は来るなり目がすでに死んでるというのです。だからもう助からないという言い方でした。ところが、弟の側に座っていた伯父(母親の兄)をみて児玉先生じゃありませんかといったのです。伯父は小学校の教師をしてました。その医者は伯父の教え子だったのです。それから医者は急にいろいろの手を尽くし出しました。我々も助かるのではないかと望みをもちだしました。
しかし駄目でした。小さな亡骸は児玉家の墓地に埋葬されました。数日後兄と二人で弟がいなくなって寂しいなと話してたら、通りかかった母親が、その話を聞いて今まで見たこともない悲しい顔をしたのです。兄がこれからお母さんの前で弟の話するんじゃないぞと言われて、もちろんだと私も頷きました。母親が、こんな時期でなければ早く医者にみせて十分な治療ができた筈だから死なすことはなかったともらす言葉が未だに頭に残っています。これも戦争がなす悲劇でした。
弟は、亡くなってから約50年経って、兄が建てた鹿児島市にあるお墓に移されました。その時両親はすでに亡くなっており、今、父親母親と同じ場所に一緒に眠っています。いや母親の膝の上ではしゃいでいるかもしれません。

(工事中)

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最終更新:2015年09月07日 16:38