中洲小学校四年生

18.中洲小学校四年生


現在(2014年)の中洲小学校

昭和21年4月、疎開先の川内市から鹿児島市に帰り、中洲小学校四年生として入りました。三年生の時、学校へは約四ヶ月、一年のうち三分の一しか行っていません。それでも四年生になりました。学校へ行っても、最初は焼け跡の整理でした。焼けた瓦の片付けです。片付けた後は地面に座り青空天井のもと、先生の話を聞きました。
いつごろだったか正確には覚えていませんが、四年生の二学期が始まる頃だと思いますが、校舎ができたのです。机も椅子もありました。ようやく学校の体裁が整いました。
校舎ができて喜んだかどうかその喜びを覚えていません。今思うと意外に早く校舎ができたなと思います。終戦二年目です。皆住む家さえ堀建小屋の時ですから。五年生になった時は二階建ての校舎になっていました。我が国は教育の必要性を非常に重要視した国であったからだと思います。
学校の体裁は整いましたが、我々の服装はみじめのものでした。将校だった五年生の時の先生はいまだに軍隊のズボンをはいていましたし、私の服は一張羅でした。休みの日に洗って干して乾くまで裸でいました。靴はありません。皆裸足でした。いくら南国鹿児島でも冬は寒いのです。足はあかぎれができていました。教室でぶるぶる震えながら先生の話を聞いていました。小学校五年生の冬、親が下駄を買ってくれました。冷たい地面に足を触れることなく歩くことができました。その時の暖かい足の感覚今でも忘れません。

(工事中)

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最終更新:2016年05月16日 07:10
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