海軍軍事工場

05.海軍軍事工場

小学生低学年の頃、夜8時には寝ていたとおもいます。母親によく寝る子だった言われていました。ある日、寝付いて熟睡に入ろうとする時、父親に激しく揺り起こされました。父親の顔は笑っていました。そして内の工場が海軍軍事工場になったというのです。それ以上は何も言いませんでした。それはおめでたい事だと思いましたが、寝ている子供を無理に起こしてまで伝えなければならない嬉しいことかなと思ったものです。
私の父親は、30人くらいの人を雇って家具製作を主体の木工場を営んでいました。1階が機械場で、2階が加工場でした。2階には俺が鹿児島一のタンス製作の職人だと自称する人がずらりと並んで仕事に励んでいました。しかし戦争が激しくなるにつれ、兵役に駆り出されたんでしょう、若い人からいなくなってゆくのは、私の目からみても寂しく感じるものでした。
戦争が終わって、またそれ以後も海軍軍事工場の話を父親がすることはありませんでした。私からも持ち出すことはありませんでした。しかし、その時の父親の嬉しそうな顔の理由は、20歳ぐらいになった頃にはわかりました。それは、軍事工場になったことで兵役に引っ張られて戦争にゆかなくて済むということです。父親はこの時すでに40歳を過ぎた年齢でしたが、40歳過ぎても招集令状が来るような切羽詰まった時期になっていたのです。
親が私を揺り起こして言った言葉に、これで戦争に行かなくて済むという言葉を加えたら、父親は非日本国民になってしまう。また私もなんと情けない男だろうと思ってがっかりしたと思います。そういう言葉をもらしてはいけない時だったのです。

(工事中)



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最終更新:2016年12月22日 14:11