開戦

01.開戦

昭和16年12月8日大東亜戦争開戦。その時私は5歳でした。父親、母親が何を言ったか、ラジオで何が放送されたか、全く記憶にありません。記憶にあるのはやはり小学校へはいってからです。
開戦は、山本五十六連合艦隊司令長官の提案により、計画され、昭和16年(1941年)12月8日未明、「にいたかやまのぼれ」の暗号文のもと、ハワイオアフ島にあったアメリカ海軍基地を奇襲攻撃して始まりました。この攻撃により、アメリカ軍に多大の打撃を与えることに成功しました。というようなことはずっと後で知りました。また、アメリカでは、「リメンバー・パール・ハーバー」という言葉で、日本軍の加害行為に対して強い憤りを示しました。その表れが山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機を撃墜するという事にもなったのでした。

ウィキペディア フリー百科事典より引用

山本五十六大日本帝国元帥海軍大将です。1884年新潟県長岡市生まれ。1943年4月18日死没59歳、ソロモン島ブーゲンビル島上空で戦死。


私は30歳ぐらいの頃、千葉県船橋市に移り住みました。船橋市の地図を見ましたら、円形の敷地があるのが目を引きました。直径が800メーター円周が2.5キロメーターにもなります。その円周の部分は、道路になっています。まるでカーレース用の道路を思わせるものです。数年経ってから興味半分でそこへ行ってみました。その円形の敷地内は団地になっていました。中央部は公園になっており、そこに写真のような記念碑が建っています。旧日本海軍無線電信所船橋送信所の跡地だったのです。そこに「にいたかやまのぼれ」の開戦の暗号文は、この地から発せられたという説明が記されていました。
付け加えますと、にいたかやま(新高山)は、台湾にある3,952メーターの山のことです。現在は玉山と呼びます。当時台湾は日本の領土で、新高山が富士山(3,776メーター)をしのいで、日本で一番高い山だったのです。

(工事中)

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最終更新:2016年12月23日 05:54