出征

03.出征
私が国民学校にはいってからだったか、はいる前だったかはっきりしませんが、父の工場で働いていた「光彦さん」に招集令状がきたのです。たしか両親と早く死に別れた人だったと思います。そういう事もあって、内で壮行会を開きました。大勢の人がきてくれて、励ましの言葉を「光彦さん」にかけてくれました。ところが本人は、それに答えるでもなし、無言のままなのです。当然頑張ります、お国のためにつくしてきますという返事が出るとばかり思っていた私には全く意外な壮行会でした。さらにその時の「光彦さん」の目が忘れられません。いつもの目と違うのです。憂いのこもった今にも泣き出しそうな目なのです。そのときはただどうしてそんな目をしているのか不思議なものとしか思えませんでした。
2,3ヶ月してから、練兵場に面会にも行きました。鹿児島には、陸軍歩兵第45連隊がありました。大東亜戦争のときは、最近の戦記によりますと、昭和18年1月にブーゲンビル島に駐屯し、同年11月に米軍が上陸し、攻防戦を展開。翌昭和19年3月に45連隊壊滅。6千余名のうち生存者8百余名とあります。面会は、2,3ヶ月の訓練を経て、補充兵として送られるための最後の日だったのかもしれません。暗い雰囲気だったことを憶えています。
ただ救いは、終戦後しばらくして、内に「光彦さん」が挨拶にみえたことでした。生きて復員できたのです。その時の顔は、壮行会の暗いものではなく、笑い声のある明るいものでした。ただ、戦争の話は全く無かったとおもいます。現在どうしているかについての話をしてたと記憶してます。


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最終更新:2015年07月17日 15:14