疎開先での通学

14.疎開先での通学

三年生の3学期、間疎開先で,たしか中村国民学校といったと思いますが3ヶ月間通学しました。この間今でも忘れられない屈辱を受けることになってしまいました。
3学期に既存のクラスに編入された私は、どうにも馴染めませんでした。短期間の編入ということで他所者扱いにされたせいか、私の消極的な態度のせいか、誰も話しかけてこないし、私も話しかけませんでした。1,2年生のとき、クラスでは中心的存在だった私にとっては、屈辱のなにものでもありませんでした。
またある日担任の女性教師にコラッという掛け声もろ共、竹の細棒で頭を叩かれました。当時まだ戦時中の雰囲気が残っている時であれば女性教師といえども日常茶飯事に行っている体罰だといえばそれまでですが、後にも先にも無かった体罰を受けた私にとっては屈辱そのものでした。
さらに、3歳上の兄が六年生にいました。兄は非常に優秀だが弟はたいしたことがないという言葉が私の耳にはいってきたのです。兄が優秀だという言葉で止めておけばいいものを、そのあとの言葉が気にいりませんでした。結構自尊心が強かったのか屈辱として強く残りました。兄が優秀だったのは確かです。国民学校を卒業と同時に何人受験したかはわかりませんが、中村小学校から唯一人、旧制鹿児島県立第二中学校に合格したんですから。

(工事中)

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最終更新:2016年05月26日 04:36