自転車泥棒

19.自転車泥棒
小学校四年生の頃でした。まだまだ世情は不安定な時期です。ある日学校から帰る途中、泥棒!自転車泥棒だ!と大声で怒鳴りながら走っている男の人に出くわしました。前をみると自転車に乗った男の人がペタルを懸命に踏みながら逃げているところでした。私も夢中で、自転車の持ち主と一緒に泥棒を追いかけました。昼間時で、大勢の通行人がいました。その自転車泥棒は通行人に遮られ、取り押さえられてしまいました。追いついた自転車の持ち主は、観念し無抵抗になった自転車泥棒の横面を殴るは殴る、たちまち泥棒の顔面は腫れあがり無残な顔になってしまいました。どちらも30歳前後のおそらく兵隊上がりの人たちだったと思います。その後泥棒は警察に引き渡されたと思いますが、私は泥棒の腫れ上がった顔をみて可哀想になり、その場にいたたまれなくなり、早々に家に帰りました。
そのようなことがあってしばらくして、イタリアのビットリオ・デ・シーカ監督が「自転車泥棒」という映画を発表したのです。発表されたのは1948年とあります。アカデミー外国語映画賞を受けた作品です。私がこの映画をみたのは、発表後数年経ってからだったと思います。見た途端以前目撃した自転車泥棒の光景を思い出したのは当然のことでした。日本だけでなく、同じ敗戦国イタリアでも同様な事件が起こっていたのだと想像できました。唯映画は泥棒を殴るような画面はなく、最後を人情味豊かな場面にしてありました。
戦後、混乱のイタリアのある町で、商売道具の自転車を盗まれた父親とその小学校低学年ぐらいの息子が、まる一日自転車の行方を捜したが、見つからず、疲れて座った向こうに一台の自転車がおいてあるのが父親の目にとまったのです。父親は突然その自転車に乗って走り出しました。まるで自転車泥棒になってしまったのを全く意識してないように。しかし、すぐ自転車の持ち主に発見されました。持ち主は大声で自転車泥棒だと叫びました。通行人の何人かが自転車を遮り、無惨にも父親は取り押さえられてしまいました。取り押さえられた父親の元に、息子は泣きじゃくりながら駆け寄りました。それは自転車泥棒をした父親でなく、何人かに取り押さえられている父親を哀れんでのものでした。それを見た初老の自転車の持ち主は、子供があまりに不憫に感じたのでしょうか、警察に引き渡せと言ってる皆の言葉を聞かず、自転車さえ返ればいいのだというふうに、その父親を無罪放免にしたのです。



父親の元に駆け寄った息子は、心配そうに父親の顔を見上げるのでした

(工事中)

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最終更新:2017年07月30日 04:56
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