有坂秀世「「母音調和」の概念について」

 所謂ウラルアルタイ語の中の多くのもの、例へば蒙古語、トルコ語、マヂャール語、フィン語等にはVokalharmonie(母音調和)があるといはれてゐるが、Vokalharmonieとは一體どういふ意味か。從來これについては全く相異なる二つの概念の混同される傾向がありはしなかつたかと思ふ。即ち
  (1) 母音配列(或は組合せ)の法則として見ること。
     例へばトルコ語ではa, o, u, îとe, ö, ü, iは同じ語根の中に並存することが無い。又同じ接尾辭も、語根の最終の音節に含まれた母音の種類に應じて、その含む母音を異にする。例へば「である」を意味する接尾辭にはdîr,-dur,-dir,-dür,等の形があり、語根の最終の母音の種類に應じてdnin.-dir,lziz-du; of-chit,buz- lar;つl-dir,cji-dir;g2i2-dii.r, ii_-dürのやうに使ひ分けられる。これも、部分的ではあるがやはり一種の母音配列(或は組合せ)の法則と見ることが出來よう。以上はソシュール氏の言葉でいへばいづれもsynchroniqueの問題である。
  (2) 音韻變化として見ること。例へばVocalharmonieを一種のprogressive Asimilationと見做し、ゲルマン語史上のUmlaut(一種のregressive Asimilation)などと對照して論じてゐる書物がある。これはソシュール氏の言葉でいへばdiachroniqueの問題である。
 この中(1)はその國語又は方言の現在又は過去に於ける或一時代の言語状態についていふことであるが②は必ず二つ以上の相異なる時代(即ちその音韻變化の起るより前と、起つてから後と)の言語状態を比較した上でなくてはいふこごが出來ない。普通蒙古語やトルコ語やマヂャール語やフィン語にVokalharmonieがあるといふのは、主として(1)の意味、即ち一種の母音配列の法則を有するといふ意味であらうと思ふ。勿論これらの諸國語に存する母音配列の法則は、過去の或時代に起つた音韻變化の結果として生じたものかも知れない。(フィニッシュ・ウグリッシュ比較言語學の方では、この見方がかなり有力なやうである。)併しそれにしても、母音配列の法則と、それを發生せしめた過去の音韻變化とは、全然別の概念であるから、この兩者を同一の名稱で呼ぶのは好ましくない。Jespersen氏はこの(1)をharmony of vowelsと呼び、佛語cameradeがcamaradeに變じたやうな音韻變化をharmonizing vowelsと呼んで、言葉を使ひ分けてゐるが(Language 280頁)、至極よいことと思ふ。日本語に果してVokalharmonieが存するか、或はかつて存したことがあるかといふ問題は、これまでいろいろと論ぜられてゐるやうであるが、この問題を論するに當つては、まづどちらの意味のVokalharmonieについての議論であるかを豫め明かにしておくこごが必要である。                                  



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最終更新:2015年06月11日 22:44