有坂秀世「新撰字鏡に於けるコの假名の用法」

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 薪撰字鏡に於けるコの假名の用法について考へて見たいと思ふ。假名の字體は、古・吾・己・去の四つである。全部實例を原形のまま引くべき所であるけれど、さうすると印刷が非常に困難になるので、ここではただ語彙を一通り擧げるにとどめておきたいと思ふ。各語に充てた漢字は、原本と同じものもあり、さうでないものもある。原形は、天治本新撰字鏡複製本の索引を利用して調べれば、容易に判明する。まつ、「古」の用例は左の通りである。
  イサコ(砂、天治本ナシ)イササコ(紗)イチヒコ(苺、天治本四ッ、享和本三ツ)父方ノイトコ(從父、享和本ナシ)オホハコノミ(車前子)オホハコ(車前、享和本ナシ)カシコロル(畏、享和本カシコム)オチカシコミスミヤク(惶遽)カバヒラコ(蝶、ニッ)カビコ(蠶、享和本ナシ)クハコ(桑子、蠶、享和本ナシ)
  コサメ(微雨)コハカマ(小袴)ココロモ(襖)短キコキヌ(短小衣)コモタヒ(小甕、天治本ナシ)コカナへ(小鼎、享和本ナシ)アラスミノコ(炭籠、天治本「阿良須美乃ロ」二誤ル)ムキコ(麥粉)コカノキ(横)
  サカマキニナカルル水ノコカヘルソ(波浪進退、天治本「佐加万支尓奈加留々美豆乃々戸留」)イネコク(稻扱、享和本ナシ)コサケ(醴、享和本ナシ)コシラフ(慰鍮)コツチ(壤、柔泥)コテ(」射鱶…)コナカキ(…魑、食品名、享和本「碪」ノ字ヲ「古奈加支」ト訓ズ、天治本ナシ、但シ天治本ハ「輔棘」ノ字ヲ「古奈加支」ト訓ズ、享和本ナシ)ゴナタ(墾)コナミ(前妻、ニッ)コニスイ(呉茱萸、天治本ナシ)コヒ(鵠、天治本ナシ)コ.ヒ(鯉)ぞ面(醺、面色和柔貌、享和本「比面」)尹(媚)尹リ(鈎・鐘・享和李シ)子ケシ(細)認(爨、享梨ナシ)f(鑵・享梨「久毛」)コ.ムラ(腓・天治本三ッ・古子和本ハ「古牟良」
 ニッ「古夫良」一ッ)調モ(薀茱、享和本ナシ)コ。ユ(越)ミソ⑳ユ(渠越・享和本ナシ)⑳ユ(蹴)マリコ。ユ(鞠蹴)コエナラフ(舸、鰐行貌用力也)アコ.エ(距)コ.ユ(肥)⑳エタリ(肥・ニッ)尹ッチ(沃土)
  コラフ(怺、享和本ナシ)サツコ(抒、未詳、享和本ナシ)ヱヒサマタコル(銘酊、天治本「惠比佐万太留」、山田博士ノ攷異二「類聚名義抄字鏡集『サマタル』ノ語アリ、甲本丙本『古』ナシ板本『古』字衍」トアリ)
 スコシキナル(少)スコシサトル(砂、小子也、天治本「須佐□留」)スナコ(砂)タコ(鮹)ッハヒラコ(燕、天治本四ツ、享和本六ッ、「鶏」ハ天治本コ豆波比良古」享和本コ豆波比良々古」)トネリコ(秦皮、天治本ナシ)ナテシコ(撫子)一一コタ(舊、植物名)ネコ(猫、享和本ナシ)ネコオモテ(短面)ハコ(箱、ニッ)
 アマハコ(篋、ニッ)鏡ハコ(鏡簸、天治本ナシ)コロモハコ(衣箱)ハコ一一(粉、字義ハ紛也、字鏡集「粉」ヲ「ハコ子」ト訓ズ)ハチノコ(蚯蚓、ニッ)ヒコ(彦、天治本「比々古」)ヒコハェ(蘖、ニッ但シ享和本ハ一方ガ「比古波由」)ヒコエ(杪、天治本ニツ、享和本一ツ)アマヒコ(輛、本草和名「馬陸」ノ和名ヲ「阿末比古」トス)山ヒコ(娩、未詳)山ヒコナ(龍瞻)ヒヒコ(曾孫、天治本群書類從本等「比々子」)フナコ(鮒)マカコ(薇、天治本ニッ、享和本一ッ)マナコ(眸、ニッ)ミサコ(鴫、ニッ)ミナシコ鳥(鶸、天治本「鸛、彌奈志子鳥」)ミヤコノカキリ(舉城、享和本「リ」ヲ腕ス)メコロ(価、養也、天治本「女古□」享和本「女久牟」)モコ(聟)ヲトコハシラ(男柱、橋梁之左右之柱、天治本「ト」ヲ脱ス)
「吾」の用例は
  カカミコ。(酸醤、天治本「加我彌吾佐」)
の一つだけであり、濁音の假名らしい。以上、「古」「吾」の二字は、奈良時代の古文獻では、いづれも甲類のコの假名として用ゐられてゐるものである。而して、右に擧げた新撰字鏡中の用例を見ると、その用法の概ね古例に適つてゐることが認められるのである。
 部ち、イサゴ(砂)イチビコ(苺)ノ・トコ(人を親んで言ふ語)カシコム(畏)コ(子)コ (小) コ (寵) コ(粉)コク(扱)コナミ(前妻)コムラ(腓)コユ(越)ナデシコ(撫子)ヒコ(彦)ミサゴ(鴫)ミヤコ(都)
ヲトコ。(男)等は、奈良時代に於て、いづれも、甲類のコを含んでゐたものである。又、直接の證據は無いけれど、コヒ(鵠、古事記中卷「久毘」薪撰字鏡「久々比」參照)コユ(蹴、紳代紀上「倶穢簸邏々箇須」參照)スコシ(少、萬葉卷十五「須久奈久」參照)の類に於ては、コはウ列音と相通ふものであるから、やはり本來は甲類のコの音であつたものらしく考へられる。
 コモ(薀茱)は海藻の一種である。大嘗祭式には「紀伊國所レ獻、薄鰒四蓮、生鰒生螺各六籠、都志毛古毛各六籠、螺貝燒鹽十顆、並令二賀蠡女十入量程採備」とあり本草和名には「石蠱鰻性袤海驫崔和名却葺と見える。倭訓栞に「小藻の義なるべし」と言つてゐる。兎に角、これとコモ(菰)とは別語である。コモ(菰)は、奈良時代の文獻でも薪撰字鏡でも、常に乙類のコの假名で表されてゐる。
 以上は新撰字鏡の「古」の假名の用例の中少くとも大部分が古例に適つた方法で用ゐられてゐることを述べたのであるが、疑はしい例も少數は無いでもない。印ち、コサケ(醴)コミヅ(濃漿)などのコが「濃」の義ならば、古事記中卷の「痲用賀岐許邇加岐多禮」 (眉畫濃に盡き垂れ)と矛盾することになる。但し、コサケ・コミズ共に抄本には出てゐない。又、奈良時代の文獻に於てコ(濃)の假名遣の證として擧げ得るものは、右の古事記の例以外には未だ見出されないのである。
 右のほか、「皰」(胞)は「子須」と訓ぜられてゐるが、これがもし「子巛果」の義ならば、「子」は假名ではない。
 次に、「己」の用例は左の通りである。
  アフトコム(跨)アホコ(朸)イコフ(息)イロコ(鱗)ウコク(動)ウマコホリ(圖、天治本「午巾反不縣名宇万己保利」享和本「午巾反不陽縣」ト註ス、水經注二日ク「河水南過二圖陽縣東→圖水出二上郡白土縣圖谷→逕二其縣南→又東逕二圄陰縣→南流注二於河一」)オキコト(構、未詳、享和本ナシ)オコヌフ(「綴」ヲ「於己奴不」
  ト訓ズ、或ハ「オギヌフ」ト讀ムカ)オコル(傲、享和本ナシ)クコ(枸杞)コ(天治本卷九魚部小學篇字ノ七番目、文字ノ一部蝕シテ明カナラズ)ココラシコソバ(如許、享和本ナシ)ココロホトハシル(松、心動、天治本「心保止波之留」享和本「己々呂保波志留」)ココロタユ(悶困、享和本ナシ)ココロモトナカル(忙惶、天治本「ル」ヲ脱ス)ココロヨシ(快、享和本「ココロ」ヲ「心」ト記ス)ココロヤル(跳蹐、遊意之貌、安心之貌、天治本「己也留」享和本「心也留」)コサフラ(移、…樹名、ニッ)コシ(暦、享和本「塔乃己志」)
  山ノコシ(蛉蠑・、山之腰)コシフクロ(一腰袋)コシキ(轂…)コシキカケ(躓胸、未詳、享和本ナシ)コシキ(瀞甑)
  スヱ⑳シキ(「甑」ノ字ヲ天治本ハ「須惠己志支」享和本ハ「牟須己志支」ト訓ズ、山田博士ノ攷異二「甲本丙本『牟』ナクシテ『須己志支』一一作ル、コレ『惠』ノ脱セルヨァ天治本ヲ正トスベシ、抄本『牟』ヲ加ヘタルハ蓋シサカシラナラム非トス」トアリ)コシキワラ(甑藁)コシキ(檜、豕所寢也草也、天治本「己志支」享和本「己志木」、 訓ノ出所明カナラズ)コスキ(木鋤、享和本ナシ)コスリ(鑪、磨木之具、ニッ)ココラシコソバ(如許、享和本ナシ)コソ木(撕、小樹也)コソグル(擽)コタフ(答)コチオモ(兩舌、未詳、享和本ナシ)コテ(鏝、享和本「鏝」ヲ「コテ」ト訓ズ、天治本ナシ、天治本「鉋」ヲ「コテ」ト訓ズレドモ訓ノ出所明カナラズ、享和本ナシ)タタシキコト(正言)マサシキコト(正言)コトトモ(吃、天治本「己止毛」)コトトモリ(吃)アタコト(徒言)イツハリコト(詐言、ニツ)タバコト(妄語、享和本ニツ、天治本ハソノ一ヲ「太波事」二作ル)ネコト(寢言、天治本ニッ、享和本一ッ)ヒソカコト(密言)マコト(眞言)ミタリ
コト(亂語、「論蔦」ハ天治本コ彌太利己止」享和本無シ、コ誰」ハ天治本「彌太己止」享和本「太和己止」群書類從本等「太利己止」山田博士ノ攷異二「蓋『彌太利己止』ノ訛」トアリ)バカリコト(謨)ワカレコト(訣
言)ヲコ。ト(享和本ナシ、天治本「旬」ヲ「呼也」ト註シ「乎己上」ト訓ズ、山田博士ノ攷異二「天治本『上』ハ『止』ノ訛」トアルニ從フ、類聚名義抄「喚嚇」ヲ「ヲコトトク」ト訓ジ、字鏡集「淋」ヲ「オ(ヲイ)コトトリ」ト訓ズ、玉篇二「喚牀痛念之聲」廣韻二「喚牀病聲」トアリ)即トタへ(故々、故來、天治本ニッ、享和本一ッ)コトビ(特牛)コノシロ(繝)宮ノコトコトク(擧城、天治本「宮乃己」享和本「宮乃己乃止々久」、山田博士ノ攷異二「按二天治本『宮乃己』ノ下一一『止々々久』アルベシ(中略)抄本『宮乃己』ノ下『乃止々久』ハ『止々々久』ノ訛ナルベシ」ト言ハレタルニ從フ)コノム(好、四ッ)コハシ(強、天治本四ッ、享和本ニッ、但シ「鞭」ハ天治本「夫知又巳波之又豆與之」ト註シ・享和本「夫知己波」ト註ス)コ。ハ弓(天治本卷十二男女漿束及資具章ノ第一字、文字蝕マレテ明カナラズ)恥ハシ(権、未詳、小學篇字及本草木異名ノ中ノ文字、字義ハ酒器以木爲之)コフ(乞、天治本ナシ)コヒネカバクハ(幾、享和本ナシ)ウナコフ(項瘤)コフシ(擧)コホヘル(「駢」「磊」ヲ「コホヘル」ト訓ズ、未詳、類聚名義抄「礫」「磊」ヲ「コホヘル」ト訓ズ)コマシ(揃、未詳、小學篇字及本草木異名ノ中ノ文字、文字ハ古文ノ牋字、又ハ棧二通ズ) コミカ(樽、ニッ)コムラ(樹叢)コメノサキ(粉、碎米、享和本「コ」ヲ脆ス)コメノキヌ(穀、絹布名、天治本ニツ、享和本一ツ)恥モ(菰、天治本「菱」ヲ「己毛」)ト訓ズ、享和本ナシ・享和本「蒋」ヲ「己毛」ト訓ズ、天治本ナシ)コモクサ(藺、享和本「己毛」)ッキコモリ(暖、晦也)ックコモリ(天治本「豆」ヲ「豆久己毛利」ト訓ズ、享和本ナシ、享和本「曜、耀」ヲコ豆久己毛利」ト訓ズ、天治本ナシ、 「ックコモリ」ハ意義未詳、或ハ上ノ「ッキコモリ」ト同義力、類聚名義抄「曜」ヲ「月コモリ、カクス、テラス」ト註シ、薪撰字鏡享和本ノ「曜、耀」ノ註「豆久己毛利又加久須又底良須」トヨク一致セリ)コ。ヤ(「鋪」ヲ天治本「己无」享和本「己之」ト訓ズ、山田博士ノ攷異昌「己也」ノ誤トセラレタルニ從フ)コ。ラ(「鉾」は天治本「□良」享和本「己良」ト訓ズ、山田博士ノ攷異二「類聚名義抄『ヘラ』ノ訓アリ、抄本『己』ハ『戸』ノ訛ナルベシ」トアリ)年コロ(年頃、享和本ナシ)コロモノアラサシス(縫衣略之貌、享和本ナシ)コロモノクヒ(衿、ニッ)コロモノッッミ(衣包、享和本ナシ)合ノコロモ(袷衣、天治本三ッ、享和本ニッ)綿ノコロモ(綿衣、山孚和本ナシ)コロモノス(衣熨、山孚和本ナシ)コロモキ(衣着、肯子和本ナシ)コロモハコ(衣飾相)カバコロモ(皮衣)ココロモ(襖)ムナコロモ(「綻」ヲ天治本二「牟奈己呂毛」ト訓ズ、訓ノ出所未詳、字義ハ説文二帛丹黄色トアリ、周禮春官司服ノ註二「今時五伯綻古兵服之遺色」疏昌「繧赤之衣是古兵服赤色遺象」ト見ユ)ワタコロモ(綿衣、享和本ナシ)下ノ綿コロモ(下綿衣、享和本ナシ)コワセリ(謦咳、 「嗽」ハ天治本「己和世利」享和本「己和須留」、「歎」ハ天治本「己和世利」享和本「己和豆久利」)コ。ヱ高シ(聲高)アッマテカタルコヱ(「誦」ノ訓、享和本ハ「阿豆万利底語事」)セヒノコヱ(蝿.聲)人ノコヱ(人聲)モノカタリスルコヱ
(「喃」ノ訓、天治本「女乃加太利須留己惠」享和本「女乃加太利須留己」、 註二「詰也謂語聲也」トアリ、山田博士ノ攷異二「甲本丙本『母乃加太利須留已惠』二作リ乙本『女乃加太利須留己惠』二作ル廣韻二『詁謫也』トシ一切經引坤蒼「謫語聲也』トス按二甲本丙本ヲ正トス」ト言ハレタルニ從フ)シコ。ッ(譖、ニッ)スマヒコル(「力失」ノ訓、未詳、享和本ナシ)ソコナハル(損、ニツ)魚ノソコネタタレル(「鰹」ノ訓、天治本「魚爛敗」ト註シ、國訓ヲ附セズ、山田博士ハ攷異一一於テ「抄本二載スルモノコレ後人ノ加筆力」上言ハレタリ)
タコメ(膨、眼病名)タフトコル(「猖獗」ノ訓、未詳、或ハ墫大ノ貌トモ言フ、鍋島家本催馬樂酒飮ノ譜二「左介乎太宇戸天、太戸惠宇天、太不止己利曾、万宇天久曾(留ノ誤)、與呂保比曾、末宇天久留」ト見ユルハ同語力)トコ(牀)ヌルトコ(「簀」ノ訓、滑床ノ義力、享和本ナシ)トコヨ虫(蝎、ニッ)ヤワヘルトコロ(「磽埆」ノ訓、天治本「也和戸留所」享和本「夜和戸留止己呂」)ト恥ロアラハシ(伉儷、露顯・天治本「伉灑」ヲ
「止也己阿良波志」ト訓ズ、享和本ナシ、山田博士ノ攷異二「『灑』ハ『儷』ノ訛、類聚名義抄『トコロアラバシ』ト訓ズ『止也己』ハ『止己呂』ノ訛」ト言ハレタルニ從フ)アトトコロ(蹟)トコロ(野老、天治本コ宅」ヲ「止己呂」ト訓ズ、享和本ナシ、天治本「蘇」ヲ「止古呂」ト訓ズ、享和本ハ「止己呂」、「菟」ハ兩本共一一「止己呂」ト訓ズ、又天治本ハ「荊□」ヲ「止己呂」ト訓ズ、享和本ナシ)山トコロ(茹母、天治本「ロ」ヲ缺ク)
ノコフ(拭)タノコヒ(手拭、天治本ナシ、享和本ニッ)ノコル(殘、天治本ニッ、享和本一ッ)ヒロコル(擴)ホコ(鉾、三ッ)ホコノカラ(鉾柄)ホコノサキ(鉾尖、ニッ、但シ享和本ハ「欽」ノ訓ノ「コ」ヲ脱ス)カナホコ(「欽」ノ訓、天治本「加太保己」)ホコ立(門頬、門兩旁木也、享和本ナシ)ホコル(誇、享和本ナシ)イヒホコル(言誇、天治本「誇」ヲ「伊比保己留」ト註シ、 「誇張」ヲ「言保己留」ト註ス、後者ハ
  享和本ニハ無シ)ホコロヒ(綻、ニッ)ホトコス(施)四方ニホトコス(「溜」ノ訓、「謂水垂下也」ト註ス、天治本ナシ)死身ヲ市ニホトコス(「磔」ノ訓、享和本「其死身乎保度己須」)モホコ(莽草、植物名、三ッ)
  ヨコカミ(軸)ヨコ木(横木)ヨコハキ(横刀、享和本ナシ)ヨコへ(横瓮)ヨコ目(横目)ヨコ目ニミル
  (「盻」ノ訓、横目見)ヨコシ(不正)ヨコス(讒)ヨコシ(脾、ニツ)ヲコシ(虎魚、天治本「ヲ」ヲ缺ク)
  カシコマル(畏、享和本ナシ)ツマコエ(「蹴然」ノ訓、享和本ナシ)一;ヤカニ(和)ニコヤケシ(和)
「去」の用例は左の通りである。
  コトトモリ(吃、群書類從本「去」ヲ「古」二作ル)コワナシ(咆勃)ホトコル(脹、享和本「ル」ヲ脱ス)
 以上、「己」「去」の二字は、奈艮畤代の古文獻では、いづれも乙類のコの假名として用ゐられてゐるものである。而して、右に擧げた新撰字鏡中の用例を見ると、その用法の概ね古例に遖つてゐることが認められるのである。
 部ち、オコス(起)ココダ(幾許)ココロ(心)コシ(腰)コシキ(甑)コ(木)コソ(助詞)コト(言)コト(故)コトビ(特牛)コノシロ(鯏)コトゴト(盡)コノム(好)コハシ(強)コフ(乞)コメ(米)コモ(菰)
コモル(籠)コロ(頃)コロモ(衣)コヱ(聲)シコ(醜)トコ(牀)トコヨ(常世)トコロ(所)トコロ(野老)
ノゴフ(拭)ノコル(殘)ホコ(鉾)ホコル(誇)ヨコ(横)等は、奈良時代に於て、いづれも乙類のコを含んでゐたものである。又、 「枸杷」を「久己」と註してゐることも、よく漢字の原音に適つてゐる。
 もつとも、カシコマル(畏)ツマコエ(蹴然)ニコヤカ(和)ニコヤケシ(和)などのコを「己」で表したことは、奈良時代の例と矛盾する。但し、最初の二つは、ただ天治本にのみ存し、抄本には出てゐないものである。
「鋪」は、天治本では「己旡」と註せられ、享和本では「己之」と註せられてゐる。山田博士の攷異に曰く、 「令二『凡京路分街立鋪』トアリ、義解二『鋪者捉街之舍也』ト見ユ、集解二『如今皇城助鋪是也』トアリ、助鋪ハ類聚名義抄二「コヤ」ト訓セリ、之二照スニ『己旡』 『己之』ハ共二『己也』ノ訛ナルコト疑フベカラズLと。而して、その「コヤ」 (助鋪)は、言海等では「小屋」の義とされてゐる。假にこれらの説が正しいものとせば、「小」は奈良時代には甲類のコの假名を以て表されてゐる語であるから、 「己也」の假名は古例に背くこととなる。
 かくの如く、少數の例外は有るけれども、薪撰字鏡に於ける「古」「吾」と「己」「去」との使ひ分けは、大體に於てよく古例に適つてゐる。薪撰字鏡に用ゐられたオ列の假名を見ると、オに於ては「於」のみ、ソに於ては「曾」のみ、トに於ては「止」のみ、ノに於ては「乃」のみ、ホに於ては「保」のみ、モに於ては「毛」のみ、ヨに於て
は「與」のみ、ロに於ては「呂」のみ、ヲに於ては「乎」のみが、いづれも壓倒的な多數を占めて居り、他の字體はただごく少數その中に混じ用ゐられてゐるに過ぎない。然るに、コの場合だけは、右とは大いに異なり、 「古」と「己」とが共に澤山用ゐられてゐる。のみならず、その「古」(「吾」)と「己」(「去」)とは大體奈良時代の古例
に一致するやうに使ひ分けられて居り、而もその實例は豐富である。これは到底偶然とは考へられないことである。
 さて、然らば、新撰字鏡の時代には、 「古」と「己」との音韻上の區別が未だ保存されてゐたものであるか、といふと、それは甚だ疑はしい。何故なら、他の文獻では、これよりずつと前から、コの甲類と乙類との假名の混用例が、既に現れてゐるからである。
 もつとも、奈良期時代の文獻に見える混用例の確實なものは、ソ・ト・ノ・ヨ・ロの場合に比すれば甚だ少い。疑はしい例を擧げるならば、
  袁許(愚、記、應祚)于古、(愚、紀、應神)  假字遣奥山路は書紀の于古を不正としてゐるが、最古の寫本たる田中本以來諸本共にこの通りである。且、音節結合の法則の上から見ても、ウコのコは甲類なるべき筈であるから、于古の古を誤字と見ることは出來ない。一方、古事記の袁許も亦諸本共にこの通りである。故に當時この語には袁許・于古二つの形が有つたものと認めなければならない。

小浪礒越道有能登湍河 (萬葉卷三)
吾瀬子乎莫越山能 (同卷十)
高湍爾有能登瀬乃河之 (同卷十二)
 これらの越.高湍を、從來の論のやうに大和の地名巨勢(許勢)と見る時は、コの假名遣が違ふこととなる。
出波之利伊奈タ等思縢許良爾佐夜利奴 (同卷五)
 假字遣奥山路に「これ、こりやなどいふ意にきこゆ。兒の意にはあらず。」と辯護してゐるが、果してさうであらうか。

垣越犬召越鳥獵爲公 (同卷七)  萬葉集略解に「宣長云。垣コユルは唯だ犬と言はん枕詞なり。歌の意には關はらずヨピコシテは呼令《メサ》レ來てなり、と言へり。」古義に「犬召越はイヌヨピコセテと訓べし。犬をよび令ソ來而《コセテ》なり。」と言つてゐる。併し、 「越《コ》す」のコは甲類、 「來《コ》」のコは乙類であつて、相一致しない。(「遣《オコ》す」のコにしてもやはり乙類である。)新考には「案ずるに垣越の越の字のうつれるにて、もとはヨビタテテとありしならむ。ヨビタテテは喚ビ催シテといふ事にて、上にも妻ヨビタテテ邊ニチカヅクモとあり。」と言つて居られる。さて、崇祚紀に「大阪に繼ぎ登れる石群を手越しに越さば越しがてむかも」といふ歌が有る。この「手越しに越さば」の「越す」は、後世の普通の「越す」とは違ひ、寧ろ「越えしめる」意味の他動詞である。然らば、此處の「犬召び越して」の「越して」も、やはり「越えしめて」の意には解せられないであらうか。もつとも、さう見るとすれば、 「垣越ゆる」はただ「犬と言はん枕詞」ではなく、目前の光景を詠んだものと考へなければならない。
 絶跡云事乎有超名湯目 (同卷十一)  「絶《タ》ゆと云《イ》ふことを有《ア》りこすな、ゆめ」と讀む時は、コの假名遣が常と違ふ。但し、超は類聚古集起に作る。之に據れば(希望を表すコスのコは起《オコ》スのコと同じく乙類であるから)問題は無くなる。卷四にも聞起名湯目《キキコスナユメ》といふ例がある。 (萬葉集古義がこの起を越の誤であるとしたのは却つて誤つてゐる。)
  加古能古惠 (舟子の聲、同卷十五)  古は類聚古集・古葉略類聚抄・西本願寺本己に作る。之に據れば問題は無くなる。
                                   カクシ
  如是所爲故爲 (同卷十六)  從來の如く「如是ぞ爲來し」と解する時は、コの假名遣が常例に違ふこととなる。併し、この解釋は未だ確實とは言へまい。
佛足石歌はト・ノについて、歌經標式は少くともソ・ノ・ヨ・ロについて、各甲乙兩類の假名の混用例を持つてゐるが、コについては混用例が一つも無い。高橋氏文・止由氣宮儀式帳・皇大神宮儀式帳・古語拾遺・新撰姓氏録・内裏式・貞觀儀式・尾張國熱田大神宮縁起・延喜式等にも、コの假名の甲乙兩類を混用した例は見當らない。琴歌譜もさうである。國史所載の宣命の中で、コの假名の甲乙兩類を相混じた例は、貞觀七年以來存在する。
  去正月萋使天大幤乎奉出灘然乎禦依有穢天奉菖不得繍(蟲七年二月十四日詔)
  去正月窪使天奮灘然乎忽譲姦天奉出酷不得繍(同月十吉詔)
  大臣乃懇茄志許秣辭讓申仁依天今味天延來禮(元謡年十二月四日詔)
日本靈異記の訓註にも混用例がある。
  蠡(卷上篳九)
又、薪撰字鏡の用字法と一致しないものがある。
  憇鼎不(卷上第二十)畆己(卷下第十四)
日本紀竟宴和歌にも混用例がある。
  於保散々岐多加都乃美也乃安女毛留遠布可世奴古渡乎多美波與呂古布 (元慶六年藤原朝臣國經)
  阿磨能褒臂俄瀰農美飫野簸耶佐賓珥廼伊朋津儒波屡濃僂葬登胡楚書鷄 (延喜六年矢田部宿禰公望)
  譽能那呵尼吉美那賀利勢婆嘉羅須幡爾加氣流古登幡々那褒幾喬那痲志 (同藤原朝臣博文) 以下その例多し
新撰萬葉集にも混用例がある。
  マツノネヲカゼノシラベニマカセテハタツタヒメコソアキハヒクラノ
  松之聲緒風之調丹任手者竜田姫古曾秋者彈良嘩 (卷之上)
假名遣及假名字體滑革史料に載せられた古訓點の中でも
  戰慄謹冨・カシ己マリオソル丶己ト (知恩院藏大唐三藏玄奘法師表啓訓點)
  僕.ヤッこ (石山寺藏蘇悉地羯羅經略疏寛甼八年點)
の如きは古例に背いた用字法であり、
  喩.己シラブル (知恩院藏天唐三藏玄奘法師表啓訓點)
  蹴・こゆ (石山寺藏大智度論天安二年點)
の如きは薪撰字鏡の用字法と一致しないものである。なほ、大矢博士の發表された願經四分律藏古點について、春日政治先生は「コは大矢博士が表に二字母を出されたのは一失であつて實際は古の一字しかないので、下に並べた己に似た字形はセの假名を誤り入れられたものである。當時博士の原稿を見直した際氣附かなかつた私の罪である。而してコに區別のなかつたことは次の事が證明してゐる。右の假名を用ゐた語彙は凡そ
  拭乃古○  熹古乃ソ  彈古止ヒ十  應古イへ
などであるが、この四語は揃ひも揃つて古用凾の假名であるのに、之は亦揃ひも揃つて却になつてゐるではないか。
(中略)かくて願經四分律藏古點は未だ眞假名本位の名殘を止めてはゐながら、略體假名を豐富に生み出してゐる點が雜集論に次ぐべき情態であり、而も乎己止點の複雜になつてゐること、古假名遣の餘影をさへ止めてゐないことは、明かに不安朝に這入つてゐることを語つてゐるものである。大矢博士は之を推定して大略延暦より弘仁の間とされたが、恰も雜集論點と成實論點との中間、凡そ弘仁の初頭位に置いたならば餘り無理はないやうに思ふのである。」(國語科學講座「片假名の研究」二四ー二五頁)と言つておいでになる。同じく大矢博士の發表なさつた地藏十輪經元慶點の中にも
  悚・カシ己マル 痼・こ 枯・こ
のやうな古例に違つた用字法が見え
  誘㎜・こシラへ
のやうに新撰字鏡の用字法と一致しない例がある。本草和名や倭名類聚抄に於ては、コの假名が甲乙兩類に使ひ分けられる傾向は少しも存在しない。
 かやうに見て來ると、コの假名の甲乙兩類を相混じた例は、新撰字鏡以前にも既に澤山現れてゐる。故に、薪撰字鏡が「古」(「吾」)と「己」(「去」)とを大體古例に遖ふやうに使ひ分けてゐるといふことは、當時コの甲乙兩類が音韻上區別されてゐたことを示すものとは考へられない。併しながら、その使ひ分けは、決して偶然とは思はれない程度に正確であり、且實例も豐富である。これは何故かといふと、恐らく、その訓の據となつた古文獻、殊にその序文に言ふ所の私記の類の用字法の影響によるものではなからうか。例へば現存する國寶八十卷華嚴經音義私記や圖書寮御藏四分律音義や室海の一字頂輪王儀軌音義等と同じ種類の書物は、當時幾つか世に存在して、新撰字鏡編纂の材料ともなつたことと考へられるのである。それらの中には、コの甲乙兩類がまだ音韻上區別されてゐた時代に成つたものも多く存したことと思はれる。新撰字鏡と略同じ時代に出來た尾張國熱田大神宮縁起や延喜式に於てコの假名の甲乙兩類が正しく使ひ分けられてゐることも、やはりそれらが古文獻を集成した編纂物なるが故であらう。
 之を要するに、コの甲乙兩類が寛甼・昌泰頃既に音韻上の區別を失ってゐたことは勿論であるが、古代の文獻に存する特殊假名遣の中で、コの甲乙兩類の旺別が、他の假名の場合に比して、比較的後まで保存されてゐたことは事實である。音韻上の區別も、平安時代最初期頃にはなほ保存されてゐたものではなからうか。
 薪撰字鏡の假名を研究するについては、まつ、その基礎として、一一の文字及び訓について徹底的に調べる必要が有るわけであるが、これは非常な難事業であつて、未だなしとげられてはゐない。私の右の觀察はただ簡單な一通りの調べを基礎としたものに過ぎない。故に、個々の問題については、或は誤も有るかも知れない。併し、新撰字鏡に於て、コの假名が、大體古例に適ふやうに甲乙兩類に使ひ分けられてゐる、といふ事實だけは、略動かない所であらうと思ふ。

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最終更新:2015年09月04日 21:16