有坂秀世「不可能を意味する「知らず」について」

餅伴浙天皇犬命恐二侭陽仕奉浙拙久劣而無所知・進年不知・近年不知・天地之心年芳久重・百官之偕伝写恍
   皿奈諸将肘金坐(将叙元年二月甲午語)
に 往畏我皇天皇・斯天目嗣高御座乃粟乎受湯旦仕奉止負陽閉・頂爾受湯掻恐皿・進毛不知・返毛不知爾・恐美   坐八宜天皇聯令乎聚聞食勅(天早啓賓元免七月甲午語)
首 朕叉金久・前聖武天皇乃炭火子宝賜心・天目剛高御座乃坐爾昇賜物乎こ伊何爾可恐久私父母兄弟爾及寓得牟・   甚恐自二心母不知ここ母不知止伊奈儒奏(天平賓字三年六月庚成語)
その桂天早賓字二価ハ月庚子朔詔・育鞠元年十月已丑朔詔・天座元価四月突卯詔ふハ長+年三月契巳詔・姦詐三年四月甲午詔・天安二年十一月七日絹・元慶元価正旦二日詔・同八年二月二十三日絹等にも、上の天予診賓元年の絹のに似たお言葉が拶せら仁る。これ.らの中関々施し欠如につき、官長は之かミスこらシラーフゾ{七どこーざ蹟んで「いたく恐みてせむすべしら紅ぬさまを絹絵ふなり」(練紅所司絹例解第三詔の郡)ど解してゐ芯が、その賞味ならば寧ろ六スミ七ビフニシ(リ)ゾ午七ビフー了」涜む方が遮常であらう。寓葉巣に
ーノ Vf午ヲ モ ト ヒ t, * ..>ラ ズ
㈲ 石本手母刀比怖気斯良受’岩元・圃歌大筒七九囚)ーノ サ 6* <~, n Si. ilJ it ・£・ ?・ テ テ ハ シー只 七こい
五,佐和久兄俳遠宇都豆豆波死波不佃(問二八九戸)ぐ
j イヒモカネ ナヅかモビご一
位 言不得名不知(令子三一九)


4ノ イヒモ カ ネ\ヅケ モ シラニ
七 言え不得名付毛不知(同・囚六六)
古今和歌六帖に

爪 いひしらで八日つゝみに号かぃにし他の水でら回価ぬ心か(第三帖・三二三二戸)
こ紅らぱいづ租もフ巡み知らす」「皿き知らず」「、問ひ授け知らすL「屍に知らす≒名付け知らす≒言ひ知らす」ざ

いぶ各この複今語であつて、」三才広沢恍の場今には、その二つの構成妾宅の間に二言」又は「は」といふ和則が挿入されてゐ芯。これぱ上代の言語では決して珍しいこどでぱない。
  由比底之詞乎登伎毛安銀奈久爾(萬葉巻十七・三元四八)
  波布都多能由枝波印可鞭受(同・三九九ご

 これらぱ各「解芦開く」「行き間る」ドーいふ複合語の二つの聯琥要老い問に、「も」、「は」という題伺い押入戸け包例である・上の翔他の引旧交の中で「名付けレ知らに」(名付け知らす)ざ對になつてゐる「言ひいかれ」(言ひかぬ)などもやはりさうである。かやうに形の上からぱ一万に別れてゐても、意味の上汁心既て全くーつに融合してゐラものならば、複合符ど呼んで差しつかへぱ無いと思ふ。それど同じ意味に於てベ追み知らず」等をもここで複合語と呼ぶのである。これらの「知らす」は頃来「ジ………下〃ハこ『マ.べ’や癩らぬ」といふ無味でふさが、結局ぱ不可能を意味するこどになぷ。「進みも句心に旦さも側らに」ぱ「追号てべも知らす亘くすべも知らす」結局「追まん方も無く皿かん方も無し」ダ∵よ夙味になる。〔問ひ放け知らす」は「問ひ放けるすべを知らない」結局「問凸放けΛ方無し」といふ意暗になで。

 この程の複合語ぺ奈良時代には、租常自自に作られ包らののやうに見えるが、平安時代中期以後まで保存されこの

はヽ唯「言ひ句らす」(言ぱん方無し)ゼけで高る。
  そへにざてざす汪ばかかり、かくすれば高ないひしらす、あふさきるさに(古今年俳諧)
  御屏風ども立て渡し、いひしらすきょらなり(宇孝悌物語草間下)
  詣けぬざて今はの心つくからに、などいひしらぬ凪ひそふらん(古今年贈三)
  かむなびの種桧と申す、いひしらぬ賓の王侍り(宇摩悌物語吹上下)
 以上四つの宵例は大日大匠語跡典に櫨つ几但し同宵ではこの語を
  いびしろ 言句(他動四)言ひか記を句芯。言ひ得。勢語「まざ若ければ、文士をさヤさし知らず、言華や言ひ   知らす」年中行事歌合「詞いひしりてょろしく侍汪ども」
の標目o下に出して居誤のでぶるが、石仏、ここ紅ドぱ別物のやうに思はれる。「いびしろ」(言句)は、言ふこワビよく心得てぞべ言ふこどに精通してふる、言ふことに熟練してゐる、といふ方面から「言ひ得」といふ意味に韓じて
来仁のであるが、「問ひ故け知らす」などの「知らす」にはそ組程深い衆味ぱ無く、穴ゼその場合についてせんすべを知らないといふ竟味畑ら、結局不可能を訂らは寸やうになつてゐるゼけのことであるゴーョひ知る」の「知る」は、一往可能や爪らはすちのとは言ひ得るけれど、その可能は十分な可能、完仝な可能、往く所として可ならざるぱない可能で爪つて、或人の身につい仁京績的な能力を言ひ表してゐる。堤つてその打消で冷る「言ひ知らす」(上に引吊され

 伊勢物語のド言葉も言ひ知らす」に近い「知らす」の目法は、寓薗巣の中でぱ
  美知乃奈贈久耶郡美可未波多悦出伎母之見良奴伎美手米具美多窟波奈八巻十七二元三〇)
のやらな場合に苑ら汪るのである。ここでは「,ししらぬ」ぱ熟練・精通の否定、即ち末鼠て無経験白意味してゐる。今普物語巻第二十八頓光の隔年共学野見物の語に〔一八が云ぱく、去来某大徳戸車を愕りてそれに乖りて見な、ざ。亦一人戸云ぱく、宋b知らぬ車(不二帚知ニス車)に乖りて殿原に値ひ車りて、引落して蹴られて由なき死にをやせむすらむ」ざある「帚b・知らぬ」などハ賂同様である戸、これに至つては、未熟といふよりぱ寧ろ仝くの無経験であるから、伊勢物語の「言葉も言ひ知らす」などの場合こぼ少し柳つてゐる。併し要するに「帚りつけない≒帚b慣れない」といふ慨味でおるから、蝉つてゐると言つでハ縮炭の問題で、結局ぱ前の「言ひ知らす」や「ししらぬ」ざ同じ類の旧法と言つ.てよいと見よ。
 「知る」といふ言葉が精通・鶴挫僅つで能力の所有か衆味寸るやうになつて涜る側は、外國語にも有る。片山正宗氏著「儒解狽和火影典」wissenの−標目の下に「(ごそLミ・芒コー?いで7旦豆}Lらョぢこ出来る、心得てゐ芯。」として吹のやうな側か出て居る。

  men zu liclfcn wisson方法を心得てゐる、凌ぎをつけること戸出来る。
  Midi巴c'ht zu frisson (o(‘こと{J)V\ IHHPn我侵しきれぬ。夢中になり戸け芯。
  Nz竺ごじシ否ゴ俯伏作法(焉の中の義理、人情)を心得てゐる。
  価
  or woiss os zn ma<vhen核はその仕方(方法)を心得てゐ芯。
  /AI rodon wisson活か上手である、能辨である。
  otwas 7Ai tun wisHeri宣布をすること戸出末る。
 こぼ同氏著「濁浪文法排典」に「一Eョ旦は主としてハ又は物の外形公知化石布(ハの顔を知れるミ≒面識のあるこど)、\vis右ゴは市費、報知等を知れる事即ち之に囲する知識、記憶、叉宣本に開する熟練等を有すること」ざあふこどを念頭におけば、右の霞網ぱ一首よく理解さサ心。英語のcanや鋼傀語のこぎゴ(三戸「知る」といふ意味から韓じて能力を意味ずる・ゾうになつ祀過程ぱどんな肌なものTめつ記か、詳し玉専門家の御教示を受け記いものでか
參考
右のドイツ語の乙子きど悛分似祀情渡の例として、疋那語の「奇」の場合シ承げろこどか出来る。即ち原籍類に 奇異不奇都未見鍛。(臨渋窓照原師号録)
巫者不意、度向表頌名句上生陽。(同)
不追浜生不度合、足長崎突練磨一朝自生ズ同)
師凡骨、来洋間用子。骨無語。師犬合塵。云不意。(同)
怖のやうな「會」の字は、我が國ではヱスざ論んで、領解(ぶざる)の後でゐるが、末代の小説類では、[會」ぱ既に多くぱ能力を表す語として用ゐられてゐる。もし屈ひて引証するならばョクスざでも言ふべき所であらう。
賜浜口、今津法華経。玄某日、北見小事。ヱハ唐三戦敗経詩話)


  然惚庖命邪法。我聘億尤人命億兆法。(同)
  除荒法師ヤ飛、方前列絃。(同心
  原来泣女兄}繍作。(銀玉願行;
  囚他一に誉器都貪、一府裏大郡陽倣李契嬢ズ西山一息鬼)
  却粧蝶大店誘、嫁了泣惘老兄、只今吃飯。(偕行岑岑)
他の用法は現代官話にも存在すら。災主点氏は「帽命庶中図話賜こざ「仰能脆中沢話喘ゴどの員別を庶昭して左のやうに言つで居られる。「前者は支笑語を腸λで(経験全社ぱ練習して)出来ふか(つまり心得てゐ・ふか)…………,{‘{)一合jご犬命得して出来るかどうかの育てあ≒後者ぱ生れ付与出来るか(身鯛的能力)どうかの育であるプ(支那言語組織諭T几五一二九六頁)。
        ‘  追     記
 本校0原形は、昭和十年刊「藤岡博士功績記念言語誤諭文集」に収められ包ものであぶ・。「贈恐不知・皿そ不知」に閣す乙卑見に對し、菊滞早生氏は、翌年「國語研究」五月読に於て、寓奨巣の
建則之註文不知、穴扶ケ反裳不知(巻十三ござ)
を引いて、フハスミサとフーーざよものも一笑ではあるが、ラ〈ム七シラー一を否定すべき澄明ぱ未だ霊されてゐないゴざ評せらμ記。併し、この句は                    、
そモクラでヤマクノミti ft- 4 '" * If - -*> ~? 1.シヅマト  カタラ< K b *レシ々レハ   fヤカ<- 0 0 oo n uモデノ O O O O  うマジモノタヱテツマヅグ
百不足山田道子、淡雪乃愛妻跡、不語利之来席、殖困乏往文不知、衣紋サ反裳不知、馬力物立面爪衛。fses6參

ド続く所にかつて、(「往文不知」にはユクヘ七シラズ・ユクヲ?ごフズ・ユク七シラズ・‐1クカ七シラズ・ユカク七ごフニ等、「反裳不知」にはカヘル七シラズ・カヘル七シラ}一等、訓に諸脆ぱあるが、何れにしても、)その意味ぱ萬莫特に「思ひにほげしさまなり」ざある通り、物凪ひに耽るの診り、足が現に何方へ向き、何唐を剛んでゐるかをも意識しない有様を表してゐるらのである。僅つて、不可能を意味する「知らす」とは、全然場合が逡ふ。
 之に對して、宣命の場合は.、今日に傅ぱる最古の費例に櫨れば
  聊か啓さば天皇が大御言恐く、
  賜ぱ19仕へ奉らば拙く劣くて知る所無し。
    逆毛不知、皿毛不知 
ざ績くのであつて、これ明かに進退胴親の場合であり、「進むすべも知らず、退くすべも知らす」卸も「進むこども出来ず、退くこドも出来す」の御意ざ拝察される。故に、かの「言ひも炉ね、名付けも知らに」等の例に倣つて、「進みも知らに、退さも知らに」ざ拝頂するのを穏常だ考へるのである。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年01月19日 01:09