安倍能成「和辻君を悼む」

 和辻君が旅中か車中かで心臓の発作に苦しんだのは、つい昨日のやうに思ふが、もう二十年にもなるといふことである。その後は君自身も奥さんも警戒に遺漏はなかつたけれども、心臓の虚弱が君の持病となり、一年程前から又発病して入院し、今年の後半は家に籠もつて静養し、それこそ腫れものにさはるやうな、行き届いた看病を奥さんから受けたに拘らず、何しろ電燈のスゥィッチ一つ自分で抂ぢても、脈搏が直ぐ上る程の敏感であり、それに老齢のことでもあり、心臓が生命の源でもある所から、我々は内心この病が君の命取りになりはせぬかと気遣つたのであるが、満七十二歳の誕生日(三月一日)と金婚式の賀を来年に残して、長逝したのは、実に遺憾の極みである。我々はせめて蒲柳の質を受けた君が古稀の齢を生き延びさへもしたこと、君の最後に苦痛のなかつたこと、君が自分の好みで建てた田舎家に満足し、自分の欲する美術や調度を身辺に配して、君を敬愛する細君の奉仕を十二分に受け得た幸を喜びとする外はない。
 私が君を始めて見たのは、親友魚住影雄の下宿の一室に、君が郷里の播州から一高を志して上京した時で、君は十七八歳の紅顔の少年であつた。爾来五十数年、君は私より五年余も若かつたし、折々はガサツに君のデリケートな感情に障はつたり、先輩顔して君の態度を批難したりしたといふ悔もあるが、甘んじて君の学問の長を認め、互に人間としての誠実を信じ合ふことができ、君との交情が年々に醇化していつたことは、有難い仕合せであつた。君の青春時代は多情多感刺激を求めてやまず、その志す所は文学にあつたらしく、盛に小説や戯曲を試みて居た。習俗に反抗して奔放不羈を志願したといふ跡も著しかつた。君が哲学科に志したのは、恐らく同郷の「こはい先輩」魚住の勧誘によるものであらう。君が卒業論文にニーチェを書かうとして、指導教授に沮まれ、ショウペンハウエルに代へたといふ噂も、我々の耳に残つて居る。
 大学卒業後の君の出発に大きな影響を与へたのは、君の結婚と、当時君達夫婦が崇拝に近い敬意を捧げた先輩阿部次郎の勧告と指導とであらう。不幸にしてこの関係は中絶したけれども、君がその後に打ちこんだ研学の生活についても、恐らく君は阿部の恩を忘れなかつたであらう。君が阿部の勧奨により、君の夫人の内助と家庭生活の好都合もあつて、当時特に生計に苦労した文科卒業生に似ず、学問生活にあり余る青春の情熱と天与の才分を傾けて、若くして「ニーチェ研究」や「ぜーレン・キェルケゴール」の大著をなし得た事実は否定し得られない。君はその後君の専攻科目となつた倫理学の方面に於いて、又東西並びに日本の思想文化の思弁的、文献学的及び歴史的研究について、息の長い纏まつた多くの著述を世に送つたのみならず、その内容に於いて表現に於いて、日本学界の群を抜いて居たことは、万人の認めざるを得ない事実であつた。
 学問の進歩につれて、研究の対象が激増し、新らしい科学部門が簇生し、分科が細かになり、専門化が愈〻盛んになるのは、現代の必然的趨勢である。しかし自然の研究がいくら細化しても、生きた自然は全き一つであり、人間の歴史研究がいかに分断されても、過去が現在を生み現在が未来を孕む生きた連続であることは否定さるべくもない。人間の生活条件は刻々に変つても、人間の本性には不変がある。自然と人生とを個々に切断してはその真相を穿ち得ず、人間の生活条件を人間の本性から離しては、生活の真義を把握する由もない。我々の把握し得たと思つて居る部分が、全体中のほんの小部分であり、これと離し得ないといふ自覚は、今徒らに専門化に誇り、これをのみ学問だと心得る学者に、苦悶を与へてよいはずではないか。君が倫理学を専攻して、宗教、芸術、政治、経済と、一般文化及びその歴史に関心を持ち、日本文化を研究して印度、西洋の文化を閑却し得なかつた心持が、人間文化の真相を把握しようとする学問的情熱のやむにやまれぬ要求にあるのを思ふ時、我々の君に対する愛情と尊敬とは、愈〻益〻大を加へるのである。君の性癖にはカッと情熱が迸つて抑へ切れぬ所もあつた。自由劇場に対する血道の入れかたにもそれがあつた。東洋大学の講師だつた時、古事記について大胆過ぎる解釈を下して、軍部の忌諱に触れさうなこともあつた。日米戦争の始にアメリカの国民性を罵倒したのに、その後声を潜めたといつて、恰も主戦論者なる君が自分達の愛国運動を利口に裏切つたかのやうに非難する連中もあつた。君は殊に若かつた頃、熱情の迸出に任かせて不用意に口禍筆禍を招く傾向もあつた。しかし特に晩年に至つては、君の自信もプライドも成長して、世の賞讃に同ぜず、世の非難に屈せず、往々にして自分の生活を守る冷静の心憎さを感ずるくらゐであつた。だが君の精神の自由と弾力性、君の感情の純粋と潔癖は人にすぐれ、自分の好まず又気の向かぬことに応ぜぬ強い性格の持主だつたことは確であつた。
 君は実に一代の才人であり、一代の学者であつた。学問の研究者であると共にその研究のすぐれた発表者表現者であつた。特に君が自分の欠陥と不備とを露呈することを恐れなかつた放胆と勇気とに対して、私は敬意を表したい。
 この人今やなし、我々の遺憾と寂寥とは竟に如何ともせんすべを知らない。
                                  (『心』昭和三十六年三月号)

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最終更新:2017年01月10日 00:51