東條操「戯曲と方言」

戲曲と方言
學習院教授 東條操
 私は眞山さんにまだお目にかゝつた事はないが、お手紙をいたゞき出したのはかなり古い事で大正の末頃かと覺えてゐる。その頃、いつか君と酒を酌みながら話したいといふお便りもあつた。先生は酒豪であり庖丁の吟味も中々やかましい方だと承つてゐるのに、杯も銜まぬこゝ十年餘の病床の御生活は、失禮な申分でお氣に障るかも知れないがおいたはしい事である。
 私が御懇意を願つてゐるのは一代の文豪青果先生としてではない、一學徒としての眞山彬氏である。これは眞山さんも御異存はなからう。氏の多くの著作の中に『仙臺方言考』といふ一部の學書がある。言語誌叢刊といふ言語學關係の叢書の一册であつて、主として仙臺方言と文献中の古語──多くは江戸語──とを精密に比較研究したものである。氏にこんなかたい著述のある事は、本全集の讀者には或は意外であるかも知れないが、學徒たる氏の一面を語るものである。
 眞山さんが早くから方言に關心を持たれた事は『南小泉村』の著者である事を考へればすぐ分る。私は方言をすこし調べてゐる關係上、今度も全集中の戲曲の方言の扱ひ方を興味をもつて拜見してゐる。たとへば『西郷隆盛』である。薩摩訛は江戸の戲作者の昔から寫されてゐた特徴の多い、眞似のし易い方言ではあるが、これはまたさても見事に寫した事かなと全く感心してしまつた。方言のむづかしさは相手の身分の高下によつて言葉を使ひわけてゆく微妙な色相の差別にある。一々の引例は省くがそれがこゝには立派に出來てゐる、殆どまことに神技に近い。ところが『城山落城の日』になるとうまいにはうまいが少し前のとは扱ひが違ふ。近く配本された中の『國定忠次』と『初袷秋間祭』の中の上州訛は──尤も私は長脇差の言葉は知らないのだが──一寸素描といふ程度である。この二つでは安中言葉がよい。
 とにかく拜見してゆくと戲曲によつて方言の扱ひ方に違ひがあるやうである。私はハテナと思つた。あの克明な、物にこる、一言半句も調べに調べ練りに練り上げる眞山さんである。これは迂濶に筆はとれないと思つた。この疑ひをはらしたいのでその由を申上げると、態〻第六天の御宅からW氏が尋ねてきて下すつた。以下に記すのは同氏が話した眞山さんの戲曲中の方言の扱ひ方の要領である。これは恐らく本全集の讀者にもかなりな參考になる事かと思ふ。
 先生も昔は方言描寫に於てかなりなリアリストであつた、これは初期の御作を見ればよく分る。ところが寫實的に方言を入れた戲曲の放送なり演技なりに接してみると、演技者が方言を眞似よう〳〵と思へば思ふほどその効果は思はしくない場合が多い。方言は他所者には理解がむつかしい、そのくせ土地ツ子の耳には似非訛りは聞いて腹が立つか、をかしいかである。戲曲の方言移入はこれでは駄目だ、やはりほんとらしい嘘が入用なのである。
 戲曲に方言を加へてゆく匙加減は、まづ戲曲の種類によつて違ふ。時代物には必要でもなるたけ控へ目にするのが無難で、世話物ならかなりの程度は入れてよく、新劇ともなれば一層自由でいゝ、うまく使へば寫實的に使つても差支へない。次には役柄で違ふ。主人公にはなるべく避けるのが常法で、脇役から端役、仕出しとなると相當に方言を加へてゆく、これが場面の空氣を作る。尤も何にも例外はある。例へば南洲翁の如きは當然薩麾訛でなければお客が承知しない、南洲翁と同夫人の言葉とではこんなところから手心が違ふ。つまり役柄によつて七分、五分、三分といふやうにそれ〴〵混ぜ工合が違ふのである。第三には方言の種類によつても違ふ。大衆の熟知してゐる方言──例へば京、大阪の方言とか鹿兒島の方言など──なら、なるべく生粹に近い形で入れる。これとは逆で、あまり大衆に耳なれない方言なら大體それらしく感じる程度に入れる。例へば上州の方言などなら世間が知つてゐる圓朝の鹽原多助程度のもので差支へない。劇は大衆を相手にするもので、方言を入れるのは舞臺にある氣分を出すためである。なほ細かく言へば、上演にはそれを演じる俳優の個人性を考へる必要がある。上方役者なら勿論だが、新派の人逹には器用に上方言葉を使ひこなす人が多い。こんな時は本人にまかせておいても間違ひはないが、時には方言は苦手だといふ俳優もある、こんな場合は臺本から方言を省く必要もある。
 まアW氏の談話の要領は——聞き損ひもあらうが——ザッとこんなものであつた。私はやはり玄人は玄人だ、目に見えない苦心をしてゐるなと思つた。ほんとに尋ねてみて善い事をしたと思つた。
 實は思ひ出してみると、これとよく似た言葉を前に坪内逍遥先生からも伺つた事がある。それは博士が『名殘の星月夜』の中で狂女の使ふ方言の材料について、私に相談された時に仰しやつた御言葉である。その時博士は『どうせ鎌倉時代の話だし、何ちよつと訛らしく聞えればそれで結構です。方言そのまゝでは芝居になりません』といふ意味の事を仰せられた。名匠の用意には全く符節をあはせるものがある。


真山青果全集月報 第七号(第二巻)
1941.6.5
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最終更新:2019年09月14日 08:58