谷崎潤一郎『文章讀本』「一 文章とは何か」(2)實用的な文章と藝術的な文章

私は、文章に實用的と藝術的との區別はないと思ひます。文章の要は何かと云へば、自分の心の中にあること、自分の云ひたいと思ふことを、出來るだけその通りに、且明瞭に傳へることにあるのでありまして、手紙を書くにも小説を書くにも、別段それ以外の書きやうはありません、昔は「華を去り實に就く」のが文章の本旨だとされたことがありますが、それはどう云ふことかと云へば、餘計な飾り氣を除いて實際に必要な言葉だけで書く、と云ふことであります。さうしてみれば、最も實用的なものが、最もすぐれた文章であります。

明治時代には、實用に遠い美文體と云ふ一種の文體がありまして、競つてむつかしい漢語を連ね、語調のよい、綺麗な文字を使つて、景を叙したり情を述べたりすることが流行りました。茲にこんな文章がありますが、これを一つ讀んで御覽なさい。

 南朝の年號延元三年八月九日より、吉野の主上御不豫の御事ありけるが、次第に重らせ給ふ。醫王善逝の誓 約も、祈るに其驗なく、耆婆扁鵲《きばへんじやく》が靈藥も、施すに其驗おはしまさず。(中略)左の御手に法華經の五の卷を持せ給ひ、右の御手には御劍《ぎよけん》を按じて、八月十六日の丑の尅に、遂に崩御なりにけり。悲い哉、北辰位高くして、百官星の如くに列ると雖、九泉の族の路には供奉《ぐぶ》仕る臣一人もなし。奈何せん、南山の地僻にして、萬卒雲の如くに集ると雖、無常の敵の來るをば禦止《ふせぎとゞ》むる兵更になし 唯中流に船を覆して、一壺の浪に漂ひ、暗夜に燈消えて五更の雨に向ふが如し、(中略)土墳數尺の草、一径涙盡きて愁未盡きず。舊臣后妃泣く泣く鼎湖《ていこ》の雲を澹望して、恨を天邊の月にそへ、覇陵《はりやう》の風に夙夜《しゆくや》して、別を夢裏の花に慕ふ。哀なりし御事なり。)


これは太平記の後醍醐天皇崩御のくだりの一節でありまして、これを書いた南北糊時代に於いては一種の名文だつたでありませうし、此の中にあるいろ/\なむつかしい漢語にも、定めし實感が籠つてゐたことでありませう。まして帝王の崩御を叙するのでありますから、莊嚴な文字を連ねることも、斯かる場合は儀禮にかなふ譯であります。私は子供の時分に、太平記の此のくだりを非常な名文であると教へられ、「土墳|數尺《すうせき》の草、一徑|涙《なんだ》盡きて愁未盡きず。舊臣后妃泣く泣く鼎湖の雲を瞻望して」と云ふあたりは、今も暗記してゐるくらゐに愛誦したのでありますが、明治時代の美文と云ふものはかう云ふ文體から脈を引き、その云ひ廻しを學んだものでありました。その時分は小學校の作文でも、かう云ふ漢語を苦心して捜し出したり寄せ集めたりする稽古をしたもので、天長節の祝辭だとか、卒業式の答辭だとか、觀櫻の記だとか云ふ文章は、皆此の文體で綴つたのでありますが、昔は知らず、現代の人間には、これでは餘り装飾が勝ち過ぎて自分の思想や感情を表現するのに不便であります。ですからその後此の文體は次第に滅んでしまひましたが、實用的でない文章と云へば、先つかう云ふ風なものより外に考へることが出來ません。

こゝで一寸お斷りしておきますが、文章と云ふものを二つに分けて、韻文散文とに區別することがあります。韻文とは何かと云へば、詩や歌のことでありまして、これは人間が心の中にあることを他に傳達するのみでなく、自《みづか》ら詠嘆の情を籠めて謠《うた》ふやうに作つたもの、從つて謠ひ易いやうに宇の數や音の數を定め、その規則に當て篏めて綴るのでありますから、成る程文章の一種ではありますけれども、普通の文章とは多少目的が違ふだけに、それはそれとして特別な發達を遂げてをります。で、實用的でなくて而も藝術的な文章と云ふものがあるとすれば、この韻文が正しくそれに當りますけれども、私が此の本の中で説かうとするものは、韻文でない文章、即ち散文のことでありますから、それは豫め御承知を願つておきます。

そこで、韻文でない文章だけについて云へば、實用的と藝術的との區別はありません。藝術的な目的で作られる文章も、實用的に書いた方が効果があります。昔は口でしやべることをそのまゝに書かず、文章の時は口語と達つた云ひ方をしまして、言葉遣ひなども、民間の俗語を用ひては禮に缺けてゐると思ひ、わざと實際に遠くするやうに修飾を加へた時代がありますので、あの美文のやうなものが役に立つたこともありますけれども、今日はさう云ふ時代でない。現代の人は、どんなに綺麗な、音調のうるはしい文字を並べられても、實際の理解が伴はなければ美しいと感じない。禮儀と云ふことも、全然重んじないのではないが、高尚優美な文句を聞かされたからと云つて、それを禮儀とは受け取らない。第一われ/\の心の働きでも、生活の状態でも、外界の事物でも、侍に比べればずつと變化が多くなり、内容が豐富に、精密になつてをりますから、字引を漁《あさ》つて昔の人が使ひふるした言葉を引つ張つて來たところで、現代の思想や感情や社會の出來事には當て篏まらない。それで、實際のことが理解されるやうに書かうとすれば、なるべく口語に近い文體を用ひるやうにし、俗語でも、新語でも、或る場含には外國語でも、何でも使ふやうにしなければならない。つまり韻文や美文では、分らせると云ふこと以外に、眼で見て美しいことと耳で聞いて快いこととが同樣に必要な條件でありましたが、現代のロ語文では、專ら「分らせる」「理解させる」と云ふことに重きを置く。他の二つの條件も備はつてゐればゐるに越したことはありませんけれども、それにこだはつてゐては間に合はない。實に現代の世相はそれほど複雜になつてゐるのでありまして、分らせるやうに書くと云ふ一事で、文章の役目は手一杯なのであります。

文章を以て現はす藝術は小説でありますが、しかし藝術と云ふものは生活を離れて存在するものではなく、或る意味では何よりも生活と密接な關係があるのでありますから、小説に使ふ文章こそ最も實際に即したものでなければなりません。もし皆さんが小説には何か特別な云ひ方や書き方があるとお思ひになるのでしたら、試みに現代の小説を孰《ど》れでもよいから讀んで御覽なさい。小説に使ふ文章で、他の所謂實用に役立たない文章はなく、實用に使ふ文章で、小説に役立たないものはないと云ふことが、直きお分りになるのであります。次に小説の文章の例として志賀直哉氏の「城の崎にて」の一節を引用してみませう。

 自分の部屋は二階で隣のない割に靜かな座敷だつた──讀み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄關の屋根で、それが家へ接續する所が羽目になつてゐる。其勿目の中に蜂の集があるらしい、虎斑の大きな肥つた蜂が天氣さへよければ朝から暮近くまで毎口忙しさうに働いてゐた。蜂は羽目のあはひから摩拔けて出ると一ト先づ玄關の屋根に下りた。其處で羽根や觸角を前足や後足で丁寧に調べると少し歩きまはる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を兩方ヘシツカリと張つてぷーんと飛び立つ。飛び立つと急に早くなつて飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度滿開で蜂はそれに群つてゐた。自分は退屈するとよく欄干から蜂の出入りを眺めてゐた。
 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄關の屋根で死んで居るのを見つけた。足は腹の下にちゞこまつて、觸角はダラシなく顔へたれ下がつて了つた。他の蜂は一向冷淡だつた。巣の出入りに忙しくその脇を這ひまはるが歪く拘泥する樣子はなかつた。忙しく立働いてゐる蜂は如何にも生きてゐる物といふ感じを與へた。その脇に一疋、朝も書も夕も見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに轉がつてゐるのを見ると、それが又如何にも死んだものといふ感じを輿へるのだ。それは三日程その儘になつてゐた。それは見てゐて如何にも靜かな感じを與へた。淋しかつた。他の蜂が皆、巣に入つて仕舞つた目暮、冷たい瓦の上に一つ殘つた死骸を見る事は淋しかつた、然しそれは如何にも錚かだつた。





故芥川龍之介氏は此の「城の崎にて」を志賀氏の作品中の最もすぐれたものゝ一つに數へてゐましたが、かう云ふ文章は實用的でないと云ふことが出來ませうか。此處には温泉へ湯治に來てゐる人間が、宿の二階から蜂の死骸を見てゐる氣持と、その死骸の樣子とが描かれてゐるのですが、それが簡單な言葉で、はつきりと現はされてゐます。ところで、かう云ふ風に簡單な言葉で明瞭に物を描き出す技倆が、實用の文章に於いても同樣に大切なのであります。此の文章の中には、何もむつかしい言葉や云ひ廻しは使つてない。普通にわれわれが日記を附けたり、手紙を書いたりする時と同じ文句、同じ云ひ方である。それでゐて此の作者は、まことに細かいところまで寫し取つてゐる。私が點を打つた部分を讀むと、一匹の蜂の動作を仔細に觀察して、ほんたうに見た通りを書いてゐることが分る。さうしてその書いてあることが、と云ふのは、此の場合には蜂の動作でありますが、それがはつきりと讀者に傳はるのは、出來るだけ無駄を切り捨てゝ、不必要な言葉を省いてあるから嶋、あります。たとへば終りの方の「それは見てゐて如何にも靜かな感じを與へた。」の次に、いきなり「淋しかつた。」と入れてありますが、「自分は」と云ふやうな主格を置かずにたゞ「淋しかつた。」とあるのが、よく利いてゐます。又その次の「他の蜂が皆榮に入つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ殘つた死骸を見る事は云々」のところも、普通なら「日が暮れると、他の蜂は皆巣に入つてしまつて、その死骸だけが冷たい瓦の上に一つ殘ってゐたが、それを見ると、」と云ふ風に書きさうなところですが、こんな風に短く引き締め、而も引き締めたゝめに一層印象がはつきりするやうに書けてゐる。「華を去り實に就く」とはかう云ふ書き方のことであつて、簡にして要を得てゐるのですから、此のくらゐ實用的な文章はありません。されば、最も實用的に書くと云ふことが、即ち藝術的の手腕を要するところなので、これが中々容易に出來る業ではないのであります。

但し、今の志賀氏の文章を見ると、「淋しかつた」と云ふ言葉が二度、「靜かな」と云ふ形容詞が二度、繰り返し使つてありますが、此の繰り返しは靜かさや淋しさを出すために有効な手段でありまして、決して無駄ではないのであります。その理由は直ぐ次の段に述べることゝしまして、かう云ふ技巧こそ藝術的と云へますけれども、しかしそれとても、やはり實用の目的に背馳するものではありません。實用文に於いても、かう云ふ技巧があればあつた方がよいのであります

實用々々と云ひますけれども、今日の實用文は、廣告、宣傳、通信、報道、その他種々なるパンフレツト等に應用の範圍が廣く、それらは多少とも藝術的であることを必要とするのでありまして、用途の上から云ひましても、だん/\藝術と實用との區別が分らなくなつて來つゝあります。現に裁到所の調書などは、最も藝術に縁の遠かるべき記録でありますが、犯罪の状況や時所について隨分精密な筆を費し、被告や原告の心理状態にまで立ち入つて述べてをりまして、時には小説以上の感を催さしめることがあります。されば文章の才を備へることは、今後如何なる職業に於いても要求される譯でありまして、旁 心得のためにこれだけのことを辨へて置いて頂く方がよいと思ひます。


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最終更新:2016年01月04日 22:13