らっく

滝のような雨。

ガラスを通して見上げた空には雲の切れ間がまるで見えず、太陽の姿を拝むのは当分先になるだろう。


「はぁー……」


他の生徒は既に全員帰宅していて、昇降口に残っているのは自分一人。

気分が優れずに放課後まで保健室で眠っていたらこの有様である。

どうしてこんな日に限って傘忘れちゃったんだろう――溜息を吐いても空が晴れることはない。

携帯も電池切れで、完全に詰みの状況。

待っていても状況は良くならず、かと言ってこの雨の中を突っ切って帰る度胸はない。

困り果てて昇降口の周りをウロウロしていると、背後から声をかけられた。


「あの、先輩?」

「え?」


聞き覚えのない声に戸惑いつつ振り向くと、そこに立っていたのはやっぱり知らない男子生徒。

金髪で背の高い、スポーツ系の部活に所属していそうな雰囲気。

ネクタイの色から1年生であることは分かったが、佳織とは面識のない顔だ。


「あの、良かったら俺の傘使いますか?」

「え、でも……」

「俺はこの後センセイに用事で呼ばれてますし、予報だとあと3時間くらいで雨も止むみたいなんで」

「うーん……」


好意は有難いけど、知らない人にそこまで甘えるのも気が引ける。

けれど断ってもこの雨の中、優れない体調のまま帰るのは辛い。


「まあ、俺もいざとなったら先生に送ってもらいますし。そこの傘立てに刺しとくんで、良かったらどうぞ」

「あっ……」


宣言通り、傘立てに自分の黒い傘を置いて早足に去って行く男子生徒。

お礼を言う間もなく遠ざかる背中につい手を伸ばしてしまったけれど、指先は虚しく空を掴む。


「……ありがとね?」


握った傘の取っ手は、まだ少し温かった。


【レベル1】

 

 

 

 

 

 

「わ、私の家にこない!?」

「……はい?」

 


――君、名前は?

――この前はありがとう

――ごめんなさい! 急いでたからあの傘忘れちゃったの……

 

先日の雨が嘘のように照り付ける日差し。

すっかり体調も良くなって登校した日の昇降口で、ばったり再会したあの男子。

言うべき言葉が多過ぎて、何と言ったら良いのかわからず、グルグル回る頭の中から飛び出た言葉。

勢い余って彼の手を取ってしまったけれど、そんなことを気にする余裕は今の佳織には無かった。


「え、今のって……」

「もしかして、あの二人……?」


――そしてここは、朝の昇降口。

当然ながら、周りには他の生徒が大勢いて。

一生懸命に京太郎の手を握る佳織の姿は、見ようによっては――


「なーにしてるっスか」

「ひゃっ」

「おわっ!?」


二人の間に急に『現れた』少女。

東横桃子。京太郎の同級生。

普段から影が非常に薄い彼女は、意識しても探すことが難しい。


「行きますよ京ちゃんさん。このままだと遅刻っす」

「いや、でも――」


問答無用。

急に姿を現した少女は、有無を言わさずに京太郎を佳織から引き離して去って行く。


「……」

「あっ……」


ほんの一瞬だけ目が合っても。

彼女は、佳織の事など全く意識していないようだった。


「……何だったんだろ」


彼の温もりが残った手のひらを無意識に胸元へ。

胸の奥に、燻りのようなモヤモヤを感じた。


【レベル2】

 

 

 

 

 

 

 

「あの、先輩……」

「いいよ、気にしないで。ジャンケンの結果だもん」

 

お腹減ったなー!!との部長の声が響き渡るお昼の12時。

「あ、じゃあ買いに行きますよ、一年だし」と腰を上げた京太郎と桃子だが、「それは不公平だ」と待ったをかけたのが鶴賀麻雀部大将の加治木ゆみ。

「学年が下だからといって雑用を押し付けるのは忍びない」と言うのが彼女の主張。
零細麻雀部である鶴賀だからこそ、一人一人を大事にするべきだという考えだ。

そこで公平にジャンケンで今回の買い出し係を決めよう!となった。

……いや、それは本当に公平なのか?と首を傾げる者も複数いたが。


「……でも、やっぱりコレは……」

「もう、須賀くんは何でもかんでも頑張り過ぎだよ?」

「うぅ……」


一つの袋を、二人片手ずつで持つ。

一人で十分だと言う京太郎と、せっかく二人一緒に来たんだから!と譲らない佳織の折衷案。

以前の昇降口での出来事もあって、佳織のことを意識してしまう京太郎だが、


「~♪」


当の本人は楽しそうに鼻歌を口遊んでいる。

嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちの京太郎に対して、佳織の胸の中は言いようの無い幸福感で満たされていた。

いつもの見慣れた道なのに、いつもよりずっと楽しい。

この感情の名前には、まだ気が付かない。


【レベル3】

 

 

「それは……もしかして、恋……とか?」

 

――須賀くんを見てると、胸が苦しいんです。

――でも嫌な気持ちじゃなくて、幸せでパンクしそうなんです。

――対局中もわかってるのに須賀くんから目が離せなくて、何をしても須賀くんが真ん中にいるんです。


初めての体験。どうしたらいいのか分からずに、部活の先輩に相談したら帰って来た言葉。


「恋……」

「他に何か、思い当たる節は?」


貸してくれた傘。あの温もりはまだ覚えている。

あの朝の昇降口での出来事。あの胸のモヤモヤは、もしかして。

二人で行った買い出しの帰り道。いつもの道が、あんなにも楽しかったのは。

 

「……そっかぁ。これが、そうなんだ」


【レ■ル4】

 

 

 

 

 

 

「京ちゃんさん」


ネト麻に勤しんでいる京太郎の肩に顎を乗せる桃子。

当然ながら密着する姿勢となり、背中に当たる感触に心を惑わされる。

集中を乱された京太郎はあっさりと他家に振り込み、飛ばされた。

溜息を吐き、ネト麻のアカウントからログアウトする。


「前から思ってたけど何だよソレ」

「京ちゃんさんは京ちゃんさんっすよ」


京太郎にとっては、桃子もその心の内が読み辛い。

ゆみにベッタリかと思えば、このように京太郎に悪戯を仕掛けて来ることもある。


「わけがわからん……というかモモ、近い」


極めて平静を装って桃子を退けようとした京太郎だが、そのような薄い壁はステルスモモには通じない。

ニヤニヤと維持の悪い笑みを浮かべて、桃子はより一層京太郎に身を寄せる。

「お、おまっ」

「んー? もしかして照れてたりー? ウリウリ」

「ば、やめっ」

 


【レ■■5】

 

 

 

 

 

 

 

「携帯忘れちゃった……!」


薄暗い廊下を急ぎ足で渡る。

今にも泣き出しそうな曇空は、彼女の不安をより強く駆り立てる。

急に崩れ始めた天気の影響で今日の部活動は中止となったが、携帯電話を部室の椅子に置きっ放しにしていたことを昇降口で思い出した。

明日に取りに来てもいいのだが、虫の知らせのような感覚が彼女の心を急き立てた。


「けほっ……」


息を切らし、咳き込む。

湿気と汗でワイシャツが肌に張り付く。

肩で息をしながら、ドアの隙間から部室を覗き込むと――

 

「モモ……」

「ん……」


【レ■■■】

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かった……みんな、無事だって」

 


ある病院の個室。

佳織は、花瓶の水を入れ替えながら微笑んだ。


「ああ、まだ動いちゃダメだよ! お医者さんに怒られちゃう!」

 

部長の運転する車でドライブに出掛けた日に遭遇した事故。

信号を無視して突っ込んで来たトラック。

『幸運にも』この事故による死者はなく、京太郎も重症ながら『幸いにして』一命を取り留めた。


「京太郎くん……私のせいで」


そして、偶然にも京太郎に庇われる形となった佳織は打撲程度の怪我で済んだ。

他の部員の意識はまだ戻っていない。


「みんなが戻るまで、私が京太郎くんのお世話をしてあげるから」

 

「京太郎くんが嫌でも、絶対やるから。尿瓶だって何だって」

 

「望むなら……これだって」

 

「それでも嫌って言うなら、私……」

 

「えへへ、そうだよ。こんな時くらい、先輩を頼ってほしいな」


「今日からよろしくね、京太郎くん」

 

――ずっと、こんな日々が続けば良いのに。

心の声に、彼女が気が付く日は来ない。


【■■■■】

 

 

 

 

「知ってる? こういうことすると、来世では兄妹として生まれてくるんだって」


「でも、そうしたら」


「今度こそ、ずっと二人きりだね」


「あはは。みんな、羨ましがるかな」


「私、ずっと京太郎くんのこと好きだったんだよ?」


「ええ!? それなら、もっと早く……」


「……まあ、そうだけど」


「……何だか、眠くなってきちゃった」


「……今度こそ、もっと上手くいくよね?」


「うん。大好きだよ、京太郎くん」

 


――おやすみなさい。

 

 

■■■■■■

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2020年02月29日 14:06