「あ、モモ! ちょっと待ってくれー」
廊下で後輩の『匂い』を嗅ぎ取り、ふと用事があったことを思い出してすれ違った後輩の袖を掴んだ智美だが。
「はい?」
「アレ?」
振り向いた人物は桃子ではなく、鶴賀麻雀部唯一の男子部員だった。
互いに目が点になり、智美は京太郎から手を離すとバツが悪そうに頰をかいた。
「あれー? おかしいなー」
「それはこっちの台詞ですよ。何で俺とモモを間違えるんですか」
「何でって……匂い?」
「はぁ……」
袖の辺りをクンクンと嗅いでも、京太郎には智美の言う『匂い』は理解出来なかった。
そんな京太郎に、智美が直に匂いを嗅ごうと顔を近付けるが――
「いづっ!?」
「どうしました!?」
背後から思いっきり髪を引っ張られたような強烈な痛みを感じて後退る。
キョロキョロと辺りを見渡してもいるのは京太郎だけだ。
「むー? 気のせいか? まぁ、後でモモを見付けたらよろしく言っておいてなー?」
「あぁ……はい、分かりました」
「きょーうさんっ」
「わっ!? 驚かすなよ、全く……ああ、さっき先輩が呼んでたぞ」
「いいっすよ別に。多分大したことないし」
彼は、それなりに人気がある。
そこそこ整った顔立ちと、明るくて誰にでも話しかけられる性格。
「えへへ……」
だけど、彼のことを一番良く知っているのは自分だ。
彼の好みの漫画やゲーム、コーヒーに砂糖を何杯入れるのか何てものは序の口。
部屋の中の家具の配置は勿論、風呂で体を洗う順番から行為に用いる本の種類まで。
唯一桃子が知らないのは、京太郎の心の中だけだ。
「お休みなさい、京さん……」
今日も眠りに付いた京太郎の額、瞼、鼻、唇にキスをする。
京太郎が他の女と話した回数だけ、上書きするように。
「ずーっと一緒にいたいなぁ……」
京太郎の胸に頰を押し付け、桃子は目を閉じた。
【揺り籠から墓場まで】