「お母さんも、自分に正直に生きて良いと思う」
自分の娘に、思わぬ言葉を掛けられて。
愛宕雅枝は、言葉を失った。
「……気付いとったんか」
「何年オカンの娘やっとると思ってんねん」
「お父さんが亡くなってから大分経つけど……うちも、お姉ちゃんも。もう、大丈夫だから。お母さんも、頑張って?」
「アンタたち……」
雅枝は眼鏡を取ると、滲んだ視界を拭い。
二人の娘を、強く抱き締めた。
「……ごめんなぁ、駄目なお母ちゃんで」
「そんなことない!」
「せや! オカンは宇宙一のオカンやで!」
母の温もりを感じながら。
洋榎と絹恵は、雅枝の体が意外と小さいことに、少しだけ驚いた。
◆
二人は、あんぐりと開いた口が塞がらなかった。
「……で。この人が――あんたらの、新しいお父ちゃんの」
無理もない。
なんせ――
「京太郎です。よろしくお願いしますね」
「オカンの連れて来た新しいオトンが……年下やった……」
「……イケメンさんやん……」
「そっちか!?」
……それぞれ抱いた感想はあれど、驚きの感情が胸を締めていたことに、違いはなかった。
須賀京太郎改め、愛宕京太郎。
二人の出会いは麻雀を通してのものだったそうだが、京太郎の実力は全然大したことがないようで。
京太郎は雅枝の、人としての強いところに惹かれて。
雅恵は、京太郎の人としての優しさに惹かれて。
互いに互いを意識していたけれど、二人の娘の存在から、更なる一歩を踏み出すことはなかったけれど。
しかし、娘に背中を押された雅枝からアプローチを仕掛けたことにより――こうして、結ばれることになったのだと言う。
「むー……」
だけどやっぱり、娘の洋榎としては心配になるもので。
「オカン、騙されてたりせんかな……?」
「んー、お母さんのことだから心配はいらんと思うけど……」
「せやかてなぁ」
……もし、ロクな男じゃなかったらウチが叩き出したる!
最初はそんな気持ちで、洋榎は京太郎を愛宕家に迎え入れた。
◆
結論から言えば、洋榎の不安は杞憂に終わった。
二人で出掛けた時は道の車道側を歩いたり、エスカレーターに乗った時は自然と下に乗ったり。
そういった気遣いだけではなく、母の言う京太郎の『人としての優しさ』も、一緒に暮らしていく中で感じ取れた。
「はぁ……」
だが、洋榎の口から零れる溜息は止まらない。
京太郎への不安が取り除かれた今、何が悩みの種となっているのかと言うと――
「お義父さん、うちの眼鏡知らんー?」
「ああ、それならテーブルに――ぶっ!?」
下着姿で家の中を徘徊する絹恵に、京太郎が吹き出す。
目が悪い絹恵には分かっているのかいないのか、フラフラと覚束ない足取りで、際どいところが見えそうになっている。
「ほ、ほら……コレだよ」
しかしこのまま放って置く訳にもいかず、京太郎は極力絹恵から視線を逸らしながら、テーブルの上の眼鏡を取って絹恵に握らせた。
「あー、これでよう見える! ありがとなお義父さん!」
「んなっ!?」
視界が戻った瞬間にピョンと京太郎に飛び付いて抱き着く絹恵。
勿論、下着姿の彼女が力一杯抱きつけばその感触がダイレクトに伝わるわけで――非常に、京太郎の理性に悪い。
「えへへ、お礼に――好きにしてええよ? 私のこと」
「な、何言って……」
「最近、ご無沙汰なんやろ? お母さん、忙しいみたいやし」
耳にそっと、囁くように。
「だから、ええよ? 私の体を、好きにしても」
その声音は、娘が義父に向けるものとは、到底思えなかった。
肩を押さえ付けるように、雅枝が京太郎を布団に押し倒す。
大きな音を立てて、二人の体が沈む。
「ま、雅枝さん? 明日も早いんじゃ――」
口を口で塞がれて、台詞が遮られる。
たっぷりと、京太郎を味わい尽くすように時間をかけて、やがて雅枝の方から離れていく。
「……だからこそ、や」
「え?」
「だからこそ。京太郎を感じてから、行きたいんや」
「雅枝さん……」
部屋の灯りが消えて、二人の肌が重なる。
やがて室内の様子を探ることが出来るのは、暗闇の中に響く声だけになるが――
「……」
部屋のドアに僅かな隙間が出来ていたことに、京太郎は気が付かなかった。
「お母さん、今日から出張なんやて?」
「ああ、ちと一週間ほど家を開けるわ」
「そっか――まぁ、『安心して』行ってきてな? 私らにはお義父さんがいるし」
「ああ、私もちゃーんと京太郎に毎朝のモーニングコール頼んどるからな。『心配ご無用』やで?」
そう言って腕を絡ませてくる雅枝に、照れ臭そうに頬をかく京太郎。
二人を微笑ましく見つめる絹恵。
どこからどう見ても順風満帆な新しい家族の光景。
「頼むでホンマ……」
だというのに――洋榎は、口から零れる溜息を、止めることが出来なかった。
【新・愛宕家の日常】