「人類」という呼称の謎

◎「人類」という呼称への疑問

・『進撃の巨人』の世界の住人は、何度も自分たちの事を「人類」と呼称している。

・岡田斗司夫氏も指摘している事だが、この呼称には違和感がある。

 

 


◎多用される「人類」

・1巻第1話「二千年後の君へ」の冒頭で、モーゼス・ブラウンと思われる人物が「顔の見えない巨人(おそらく後の鎧の巨人=ライナー)」に向かって立体機動で斬りかかり、「人類の力を!!思い知れッッ!!」と叫んでいる。

・『進撃の巨人』は、人を食べる巨人という謎の種族?と。人類という種族全体の生存をかけた戦いという側面もあるので、ここでの「人類」という呼称には違和感はない。

・しかし、話が進むにつれて徐々に違和感が増してゆく。自分たち全体の事を指す言葉として、「人」や「人間」という言葉が異常なほど使われないのである。

・逆に、大げさな「人類」と言う言葉は頻繁に使われる。これは何を意味するのか?

 

 

◎ジャンの不自然な「人類」

・この違和感が決定的になるのが、3巻11話「応える」でのジャンのセリフである。

・エレンが巨人化した事を秘匿するため、守秘義務を課されたジャンは次のようにつぶやく。

「隠し通せるような話じゃねぇ・・・ すぐに人類全体に知れ渡るだろう・・・」

「・・・それまでに人類があればな・・・」

・「人類がある」という文章はおかしい。なぜジャンはこのような言い方をしているのか?

 

 

◎仮説(1) 作中の「人類」は国・土地・星を指す言葉

・人類は生物だから、普通の日本語では、「・・・それまでに人類がいればな・・・」、あるいは「・・・それまでに人類が生き残っていればな・・・」などと書くのが普通である。

・なのに「ある」という表現になっているという事は、この「人類」は別の意味ではないだろうか?

 

・たとえばSF映画で宇宙人と戦う地球人が「地球を舐めるな!」と啖呵を切ったとする。

・言うまでもなく、地球人は人間(=生物)であって地球(=物体)ではない。

・しかし、「自分<自分の属するコミュニティ<地球」をなめるな、という意味である事は伝わる。

・「日本を舐めるな」、「アメリカを舐めるな」と言うのと同じ事だ。

 

・『進撃の巨人』での「人類」は、この「地球」や「日本」に当たる言葉ではないだろうか。

・つまり、人類=壁の中のコミュニティ(国家)、星(地球のような存在)などを指す言葉ではないだろうか。

 

 

◎仮説(2) 作中の「人類」は生物全体を指す言葉

・もう一つの可能性としては、壁内人類は生物全体を「人類」と呼んでいる場合である。

・なぜなら、エレンたちは猿を知らないからだ。おそらく鰊(ニシン)も知らないだろう。

・もしかしたら、壁内では生物の区別がほとんど無くて、馬など一部の動物をのぞいて、全て人類と呼んでいるのではないだろうか?

 

・あるいは逆に、人種の違いが「生物としての違い」だと考えられているのかもしれない。

・たとえばウサギもオオカミもラーテルもクジラも、別の生物だが同じ哺乳類である。

・しかし、2巻第6話「少女が見た世界」で、ミカサを誘拐した男が「昔は人間にも種類があってな」と話している事から、壁内では「”人間”に種類は無い」と考えられている事が分かる。

 

・だとすると、壁内人類には「人間(人)」と「別の人型の生物」がいて、それを当然だと考えているのではないか。

・その手掛かりになるのが、第63話「鎖」でザックレーの「屈辱を与える方法」によって拷問を受ける王政幹部の「お前のその血は奴隷用の血だ・・・」というセリフだ。

・王政幹部は2つの重要な情報を口にしている。

・ひとつはザックレーは「奴隷用の血」であり、王政幹部のような「名家の血筋」と違うという事。

・もうひとつは、「お前はすぐに記憶を失い 排便の仕方すら忘れ――」というセリフである。

・なのに、ピクシスもエルヴィンも、後半の記憶に関するセリフしか問題にしていない。

・という事は、前半の「奴隷用の血」というセリフは、壁内ではごく普通の事実、いわゆる常識なのではないだろうか。

・「壁内には人間の種類はないが、奴隷と名家の違いは存在し、それは生物としての違いだ」と考えられているのではないだろうか。

・つまり、同じ人型をしているだけの主人用生物(マスター)と奴隷用生物(スレイブ)がいるという事。

 

 

◎エルヴィンの「人よりも・・・人類が尊いのなら・・・」の意味

・前述の仮説に基づけば、第62話「罪」のエルヴィンの「人よりも・・・人類が尊いのなら・・・」というセリフは、別の意味になる。

人類=国家説「人よりも・・・国家が尊いのなら・・・」

人類=生物全体説「人類の一部である”人”よりも・・・生物全体が尊いのなら・・・」

人類=人型生物全体説「人という一種類の生物よりも・・・人型生物全体が尊いのなら・・・」

・もう一度最初から『進撃の巨人』を、人類という言葉を「国家」や「生物」に置き換えて読んでみると、新たな発見があるかもしれない。

 

 

 

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最終更新:2014年11月30日 03:00